個人的な話だが、今年を振り返って、ひとつ。
僕にはいくつか欠落している感情があるが、その最たるものは「うらやましい」という感情ではないか、と思う。
僕は「うらやましい」という感情を持つことが、基本的に、ないのだ。
何でかな。よくわからない。
ひとつは、物欲・金銭欲が(比較的)低い、ということがあるのかもしれない。
誰かが持っているものがどんなに素晴らしくても、残念ながら(?)物欲が低いから、それを「自分も欲しい」とあまり思えない。
ていうかねー、僕が「欲しい」と思うものはみんな安いのよ。本、CD、映画のDVD、そんなの別にムチャクチャ貯金したりローン組んだりしなくても買えるから、すぐ買っちゃう。幸せだ。
あとは、本を読むくらいの時間は欲しいと言えば欲しいが、かといって、時間があり余っている人を「うらやましい」と思うかというと、そんなこともない。
だからまあ、結論は、何もうらやましくない。
じゃあ、物欲はともかく、技術とか能力とか才能とか、についてはどうなんだ、と。
「箸本竜也として、こういうことができるようになりたい」、これは、もちろんある。
そしてそれは、できるようになる。というか、できるようになるという前提で生きるしかない。
そこに「うらやましい」という感情が入り込む余地はない。
ただ、なろうとすればいい。
だからまあ、結論は、何もうらやましくない。
それじゃあ、いくら努力しても手に入らないような才能みたいなものについてはどうなんだ、と。
「そんなものうらやましく思っても仕方がない」。
例えばモリオ君の運動神経とかね。無理だもん。永遠に無理。
冷めて聞こえるけど、たぶん、どっかでそういうふうに割り切ってるのかな。
「そんなものうらやましがってもしょうがねえだろ」って。
僕は夢想家だけど、変なところだけ現実主義者なのかな。
そんな僕が、だ。
今年の秋、心の底から「うらやましい」と感じたことがあった。
ある五人を見て。
その五人は、友達同士ではない。
でも、彼らの間には、「絆」という言葉も安っぽく響くほど強く、それでいて、「友情」よりもいい感じに乾いた、名前をつけられない、特別な何かがあって。
それが、うらやましかった。
その、「うらやましい」を感じた出来事が終わった後、僕は部屋に帰ってから、何もしないでしばらく座っていた。
僕は「何もしていない」ことをひどくもったいなく感じてしまうので、だいたい常に何かしらしているのだが、珍しく、本当に何もしなかった。
そのときの僕は、「ああ、あれは僕には永遠に手に入らないものなんだ」という事実と感情に慣れる必要があって、あれはたぶん、そのための時間だったのだろう。
ただ立て続けに煙草を吸い、烏龍茶のボトルを二本飲み干し、ため息をついて立ち上がり、シャワーを浴びて、眠った。
あまりに「うらやましい」に慣れてなくて、その扱いがわからなかった。
ただ、何年ぶりか知らないが、本当に久しぶりに「うらやましい」を思い出して、ひとつ、よかったのは、自分がどういうものを欲しがっているのか、何を大切に生きているのかが、あらためてだけど、わかったことだ。
それで、まあ、よしとしよう。
でも、いいな。
あの五人って。
いいな、いいな。 |