お盆に群馬の実家に帰った。
豊橋の夏と桐生(という町が僕の故郷)の夏、両者を決定的に分かつものは何か、と聞かれたら(誰もそんなこと聞かねえけどさ)、僕は「セミの声」と答えるだろう。
豊橋の夏は、ミンミンゼミが聞こえない。
まあ場所によってはいるのかもしれないし、ゼロじゃないんだろうが、僕は聞いたことがない。
「ミンミンゼミって何?」という人のために書いておくと、「ミーンミンミンミンミーン」って鳴くセミだ。何だこの解説。
ミンミンゼミの分布は東日本が中心らしく、大学の四年を過ごした京都でも、声はまるで聞こえなかった。
しかし、あくまで僕の町のセミのローテーションは、「ミンミンゼミ・さあ夏が来たぜ」→「夕暮れにヒグラシ・わけもなく悲しくなるわ」→「ツクツクホウシ・ああ夏も終わるのね」という感じだから、そして、僕の十九年分の夏の記憶は常にミンミンゼミの声と密接に結びついているから、京都で(あるいは豊橋で)クマゼミやアブラゼミに「シャーシャー」とか「ジジジジ」とか鳴かれても、「お前ら何かピンとこねえんだよ」と僕はいつも思ってきた。
僕は心の底から夏が好きだが、ミンミンゼミの声が聞こえない通算八度目の夏を過ごす今でも、彼らの不在に慣れることができない。
「どうして豊橋を選んだのか」と聞かれることがある。
「別に豊橋を選んだわけじゃない」と僕は答える。
「簡単に帰れないから大変だね」と言われることがある。
「簡単に帰れたら意味がないんだ」と僕は思う。
よく、わからないと思う。
僕にもよくわからない。
ただ、故郷を離れることの悪い点はほとんど無数に挙げられるが、良い点は数えるくらいしか思いつかない。
それでも、人生が百回あったとして、僕は間違いなく、百回とも故郷を離れて暮らすだろう。
そこに何があるのかは、書かない。
半年ぶりに実家に帰り、父と母と弟に会い、ミンミンゼミの声を聞いて、「ああ、俺の夏がここにあるな」と思った。
だが。
家族麻雀の最中、母親が「中島みゆきの歌にもあったじゃない、年に二回、八月と一月に故郷に帰って、人はまた半年頑張れる、って」と言い、父親は「帰って来なけりゃ頑張れないようじゃダメなんだよ」と例によって悪態をついた。
彼らは、二人とも正しいと僕は思う。
それでも僕は父の言葉に、「そのとおりだ」と言ったのだった。
なぜなら、僕にはもう、別の夏もあるからだ。
それもまた、僕の夏だ。
そういう生き方を選んだ。
その夏には家族も友達もなく、ミンミンゼミも聞こえないけれど。 |