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ある職員に数ヶ月前話したことがある。
本物の自信を。
世の中の自信には、いろいろな言葉の意味が含まれてる。
ポジティブ、楽観的、信じていると勘違いしている思考、本物の自信。
『昔水泳やってたんで、自信があります』
この言葉は適切かな?
使っちゃいけないかどうかは別として、俺が考えるに適切ではない。
別に信じてないよね、自分を。
自分の過去の実体験でできることがわかっているだけ。
わからないことだから、信じたり不安になるものであって、わかっていたら信じる必要ないよね。
確定された実体験がなく、自分の思考のみしか確定要素がないとき、信じれる。
改めて言うけど『自信=自分を信じる』だから、外的要素があったらいかんよね。
じゃあ、どういう人が自信を持てるんかな。
それは、事象の後に自分、そしてまわりを受けとめれる人だと思う。
そう、不安になる人は実現できなかった後の自分の未来が怖いんだと思う。
その事象ではない。
達成した後の充実感、失敗した後の劣等感。
これは人間の歴史の習性から来ていると思う。
昔の敗北者は殺されていた。
勝者のみしか生き残れなかった。
昔をさかのぼればさかのぼるほど。
狩りにいって負ければ食い物ないもんね。
生きるために食べ物が欲しい。食料を自分でとれなければ、死んでしまう。
とれなかった後の死が怖いんであって、食べ物がとれなかったこと単体が怖いわけではない。
わかるかな。
生死がかかっていたから、今もその精神は受け継がれ、成功、失敗に人はスリルを感じるんだろう。
今は平和だよね。
生死は関係ないけど、失敗した後も今までの自分でいられるかが重要になってくる。
未来の自分が何も変わらないことがわかっているからこそ、自分を信じれる。
未来の自分がどうなるかわからないからこそ、不安になる。
信じるってその事象のみだけじゃなくて、その後も継続して信じれるからこそ、生まれるものだ。
言い訳こいたりしちゃいかんよね。逃げずに自分を受けとめないと。
そういえば、先日ある中日の敗戦投手が言った。
記者『連日の疲れがあるかもしれないですね』
選手『疲れを言い訳にはしたくないです』
みんなどう思ったんかな。
俺はかっこ悪いと思った。
適当に聞くとかっこ良さ気な感じに聞こえるが、敗戦の理由を疲れと認めてる。
言い訳にしたくはないけど、疲れはあります、それが原因の1つとして負けました、と聞こえる。
それを言い訳と言わずに何ていうのか教えて欲しい。
本当に言い訳にしたくなかったらこういう表現になるはずだ。
『負けに影響するほど疲れてないです』と。
本当に疲れていてそれが原因であったとしても、言い訳したくないのであれば、原因にしてはいけない。
それか素直に認めた方が俺からするとその言葉を言うよりかっこいいけどね。『疲れで負けました』と。
それたね。
信じるという言葉を使うときは、勝つ可能性の上がる考え方でなければならない。
これやな。
本物の自信と偽者との違いは。
勝つ可能性の上がらない思考に自信という言葉は当てはまらない。
勝ちに行かないと意味がない。
自信があると言われていて、何も勝ちに執着していない人もよくいる。
負けてもいいと思っている事象に何のリスクがあるのかな。
リスクがないからこそ、負けてもいいと思っているんだ。
どうでもいいことをやるときに自分を信じる必要ないよね。
それを楽観という。
そして、勘違い野郎と呼ぶ。
本当に自信のあるひとは、全てに自信を持たない。
自分が負ける場所も知っている。
負けることがわかっているのに自分を信じる必要がない。
そのかわり、自分の勝てる可能性のあることに最大限自信をもつんや。
自信を持つことによって、攻めが生まれる。余裕も生まれる。
そして、勝率をあげる。
自分を受けとめれる人ほど自分を大切にしている人。
その結果負けてもいいと言えばいい。
負けても自分を正面から受け止めれるから。
だけど、そんなことは考えず、その事象に勝つことだけを求めて自分を信じ続ける人こそ、本当の自信のあるひとだ。
勝ち取るための大切な思考、それが自信。
俺はなるよ、本物に。
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