思い出すのは、二学期が始まって、中間テストの前。
君にひとつ、約束をした。
「俺、あなたの国語の内申、5に戻すから」。
君は「うん」と言った。
君の「はい」を一度も聞いたことがない。「いいえ」も「ううん」もほとんど聞いたことがない。
あなたの返事は、楽しかった。
いつだって、「うん」か「うーん……」のどちらか。
テスト前は、いつも。
「あなたは大丈夫でしょ」
「うん」
「俺、このシャツけっこう気に入ってるんだけど。いや相当似合ってると思うんだけど。どうなの」
「うーん……」
入試プレ、二日目。
「帰る前に、八幡校のトップ知りたいでしょ」
「うん!」
「あなたならわかってくれるでしょ、このネクタイのセンスのよさ」
「うーん……」
あのとき、約束を守れて、よかった。
最後の漢字テスト。
キングに、なりたかったよね。
ここ、っていうときには必ず決めてみせる君が、珍しく、らしくなく、本当にらしくなく、あと一問足りなくて。
今までのこと認めて、それで終わりにすべきだったんだろうけど、僕だってなってほしかったから。君ほどキングに相応しい子は、あんまりいない気がしたから。だから、言っちゃった。
「まったく……俺の中ではもうイメージできてたんだよ、あなたが最後100点とって、笑うとこ。完璧なイメージだったのに。もー……まあ、いいわ。受かって」
君は「うん」と言った。迷わずに。
「うーん……」じゃなかった。
大丈夫だ、と心の底から思えたのは、あのとき。
あなたは「うん」を本当にする人だから。
入試、前日。
「よくここまで来たよ、本当に。正直、想像できなかった。一年前は。あのね、ちょっと失敗しても大丈夫なくらい、力はついたから」
「うーん……」
「何よ、気に入らないの?じゃあ失敗しないように頑張っておいで」
「うん。失敗しないと思う」
受話器を耳に当てたまま、僕は一瞬、言葉を失った。
「失敗しないと思う」。
あなたがどのくらい謙虚か、知ってるつもりです。
あれは君にとって、これ以上ない、自信満々の言葉。
あなたが辿り着いた強さと、あまりのカッコよさに、胸が震えた。
「あなた、負けるの嫌いでしょ」
「うん!」
君はいつだって期待に応えてくれて、期待以上の感動をくれて。
芯の強い、優しさのある人。
僕たちが喜ぶことを知っていて、たくさん喜ばせてくれた。
同時に、誰のためでもなく、勝つことにこだわり続けてきた。
あるいは、誰に対してでもなく。
あなたは、目の前の現実に、負けたくない人だった。
電話で自己採点の結果聞いたとき、たくさん泣いてごめんなさい。
カッコ悪かったです。
ただ、よかったなって、思ってさ。
今日。
掲示板から帰ってきた君の表情は、僕が描いていたのと少しも変わらなくて。
あまりにも想像のとおりで、夢じゃないかと思ってしまうくらいに。
あの笑顔。
鼻にしわを寄せる、独特の笑顔。
一度言ったけど、俺、その笑い方、大好きだからね。
何度も思い描いてきたように、君と、握手をして。
カメラに照れていた君のこと。
「どうしようね、抱き上げたりしてあげようか。お姫様みたいに。絵になるよ。広告に使われるかも」
「ううん、それはやだ」
何だよ、珍しく「ううん」って。
「何だろうな、豊川校にいられて、よかったわ。俺がね」
「ううん、あたしが、だよ」
ありがとう。
珍しく、「ううん」って。
君に「受かって」と言ったとき。
君に「内申5に戻すから」と言ったとき。
本当に伝えるべきだった約束は、「あなたを必ず受からせるから」って。
言えませんでした。
言いませんでした。
言う勇気がなかったからなのか、
言う必要がなかったからなのか、
よく、わかりません。
結局、最後まで。
僕の、胸のうちに。
身勝手に。
あなたを受からせたのは僕ではありません。
あなたを受からせたのは、あなたです。
だから、色々な意味で、不成立の、約束。
それでも、言います。
リエ、僕に約束を守らせてくれて、ありがとう。
ミもフタもない言い方だけど、あなたを、受からせたかった。
どうしても守りたかった、約束でした。
守ることができて、よかった。 |