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2005 2007年10月25日 
建部 洋平 

あの日から2年と7ヶ月。
君の姿を見るのは、あれから1年に1回ぐらいになってきた。

4年近く前、初めて校長になった自分を拍手で迎えてくれたクラスに君はいた。
それまで君の笑顔をあまり見ることのなかった僕に、徐々に笑顔を見せてくれるようになった頃かな。

初めて君に会ったとき、僕は教師なりたての1年目。今考えるとなかなか悲惨な授業をやっていた気がする。君の笑顔を見れないのも当たり前だったね。あの頃はこんなにも思い出深い存在になるなんて、全く想像していなかった。

そんな君の「あの言葉」は本当にうれしかった。

今の自分があるのはそのおかげかもしれん。マジで思うよ。自分の塾講師という仕事に対しての価値をさらに高めてくれた。


今日はありがとな。そして、やっぱり謝らなくてよかったのに。
君が悩み、考え、自ら決めた道。心から応援したい。
本当に本当におめでとう。
でも、君の中で「あの言葉」を覚えててくれたことはうれしかったよ。もっとゆっくり話せたらよかったね。

いつの日か、君にお世話になろっかな。そん時はいい式にしてもらうからね。オレもいろいろと頑張らんといかんわ。


P.S 塾長にはよろしく伝えておくよ。あれは思い出の品として持っておきな。カイタクからのプレゼントだよ。



BOURBON 2007年10月19日 
岡崎 徹 

バーボンが好きだ、
と言い切れるようになるまでには、だいぶ時間がかかった。

チューハイ、ビール、ワイン、日本酒、焼酎、そしてウィスキー。
アルコールが低い方から並べたけど、バーボンはウィスキーである。

ウィスキーもいろいろあるが、スコッチは辛口、バーボンはひと言で言えば、甘口である。
アメリカの主にケンタッキー州、バーボン郡が生産地だから、バーボン。
甘くねーよ。そう言われればそうかもしんない。
でも、ジョニ赤、黒などに比べ、なんてバーボンの味はマイルドだろう。そういうことです。

ぼくは、よく人や物に影響される。
高校時代にチャンドラーの「長いお別れ」を読み終え、決意した。
それ以後、Barに行くと最初のカクテルは「ギムレット」。(最近はたまに「XYZ」から飲むが)
タバコは今でも、CAMELなのである。
CAMELなんかなぜ自販機においてあるのだろう、他の人吸ってないのに、とずっと思っていたが、去年から相棒がはじめてできた。少し、驚いた。彼も「長いお別れ」を読んでいたと知り、笑った。

でも、大学時代前半は、Canadian Club(俗に言う、「CC」ってやつ)が好きで、Barに行くと生意気にもボトルキープなんかしていた。スコッチも飲んでいた。でも、心の底からおいしいとは思えなかった。
社会人になる前、Wild Turkeyを知り、はまった。そこからは一直線。
たまの休みにはいろんな酒屋をまわり、新しいバーボンを買って帰るのがささやかな趣味でもあった。
今はネットがあるから、年に何回か好きなものを頼み、自宅に届けてもらっている。
また、故郷の倉敷に帰ると、連れがバーテンダーをやっているAnniversaryという小洒落たBarに顔を出し、ギムレット、スタート、ネクスト、バーボンのロックてな具合でやっている。

でも、最初は全然強くなかった。よく吐いていたなあ。吐いても飲んでたけど。
じゃあ、吐くのになぜ飲むの、ということだよね。
そこに酒があるからだ、と答えれば少しは粋かもしれないけど、「強くなりたかったから」が本音だなあ。
だって、1970年生まれの僕は、本気で、「酒が強い男=カッコイイ男」という図式があったから。
カッコよくなりたかったから、少なくとも、酒の1点では。
それで少しは酒が強くなった僕がもてたかどうかはヒミツ。
ただ、友達は増えた気がする。ちなみに僕の友達のほとんどはバーボンが飲める。ありがたいね。
うーん、3,4年前ぐらいからかなあ、ほんとうにおいしいと思えるようになったのは。

今もバーボンをよく飲むけど、それは、健康であることの証でもあると思う。
僕は類まれな健康男で、他人にカゼをうつされた記憶がない。まわりが非常に元気で、こっそりカゼをひいている時がごくごくまれにあるくらいで。

咳、鼻水、胸やけ。ふだんと少しでも違う状態だとしんどい。
ふだんよりも他人に迷惑をかけているのも気が引ける。
仕事ならなおさら。責任感が強いとさらに、なおさら。

元気になったら、たまには、飲もう。
健康の証に乾杯しながら。

そのときには、バーボンよりもビールかな。







明日も晴れ 2007年10月18日 
長神 智康 
最近、日が短くなったなあと感じるようになりました。
夜もちょっと肌寒いし、確実に季節が変わっていますねえ。
 
今日、南校へ行く途中ものすごいきれいな夕日を見ました。ちょうど進行方向の真正面にほんとうに大きな夕日が。
 
しばし見とれていたら、望月先生から電話で、望月先生も同じ空を見て、きれいだね、とおっしゃっていました。
 
なぜか自分は、ふと江尻先生のPick up講師のコメントを思い出しました。
 
幸せってホント些細なことでも感じられるんだな。と。
 
とにかくきれいでした。
 
そして共感してくれる人がいたことが幸せでした。


サヨナラ・タイガース 2007年10月17日 
箸本‘husky’竜也 

もうかれこれ十五年以上、僕は細々と阪神タイガースのファンを続けている。

僕は群馬の生まれで特に地元というわけでもないのだけれど、どういうわけか気づいたときには阪神ファンだった。90年代前半(生徒のみんなには全然わからない話でごめんよ)、松岡先生や紅林先生には懐かしい話でしょう、中込・仲田・湯舟という黄金の先発陣が揃い、二塁にはいぶし銀の和田、遊撃手には新人王を獲得した平成の牛若丸こと久慈、四番・一塁にはここ十年の阪神の外国人選手を考えれば奇跡のようなオマリーという助っ人が座り、代打には真弓というカリスマが控えていた、古き時代からのファンである。

一番真剣に応援していたのは中学生の頃かな、今はもう正直、そこまでじゃない。どちらかといえば、「阪神勝つといいなー」と密やかに思っている程度で。周りは杉林先生といい阿部先生といい、中日ファンばっかりだから、あんまり派手に応援すると石を投げられるんじゃないかと恐れている部分もある。嘘だけど。

 

今年のタイガースはといえば、井川のメジャー入り、福原・安藤の出遅れ、今岡・浜中という五番候補の不調など、諸事情により、夏前までは、それこそひどい状態だった。交流戦はボロボロ。楽天よりもヤクルトよりも勝てなかった。六月の終わりには、首位巨人とは十二ゲーム差。あーあ。

十年連続Bクラス、四年連続最下位という暗黒の時代を経験している僕は、タイガースに関しては早々と諦める癖がついてしまっていて(まったくファンにあるまじき男だ)、「今年はもう無理でしょ」と思い込んでいた。

ところが。

 

いやー本当に度肝を抜かれた。

九月前半、藤川の十連投で十連勝、そして首位奪回。僕はずっと忘れないだろう。

 

だが、勝負どころの九月後半には、彼らはもう疲れ果てていた。

九月二十四日と二十五日の横浜戦、二夜続けて藤川が負け投手となった時点で、阪神のペナントは、事実上、終わった。

その日三本木校から本部に帰ってきた僕は、どこのファンというわけでもないのに常にその日のプロ野球の結果を把握している望月先生と話し、「今日で終わりですね」と言った。寂しかった。

祭りは、終わったのだった。

 

 一ファンとしてならば、「よくがんばったじゃん」と言ってあげたい。

 だって俺はもうとっくに諦めてたもの。ファンより先に諦めないってことは、当たり前かもしれないが、なかなか立派だよ。結構ワクワクしたし。応援し始めてから記憶にないくらい。阪神ファンじゃなくたって、楽しんだって。今年のペナントは面白かった。ある意味じゃ、それが全部でしょ。

 そう言ってあげたい。

 

 でも、言わない。

 

 言えない。

 

 それはたぶん、僕が阪神ファンである前に……まあ、そういうことだ。

 

 最後には、勝たないと。

 

 仮に、勝負が終わった後で、そこにいくら素晴らしい感情や記憶が残るとしても、それが残ることを確信していたとしても、でも、最後に勝つことに全てを駆けないと。

 

 さよなら、今シーズンのタイガース。

 また来年、というのは慰めにならないんだろう、今年しかなかったはずだから。プロだから。

 よくやったと思うよ、心の底から。

 でも、あなたたちは、負けたんだ。

 

 言っとくけど、俺たちは勝つよ。


ホーム、スイート・ホーム 2007年10月04日 
箸本‘husky’竜也 

久しぶりに群馬の実家に帰った。

 

「ただいま」と言って玄関に入ると、相変わらず若く見える両親が迎えてくれた。

少し前に母親から指摘されるまで特に気にしたことはなかったが、僕は京都で学生だった頃も、それから今も、実家に帰ってきたときは「ただいま」と言い、出て行くときは「行ってきます」とか「ちょっと行ってくるわ」とか言うのだそうだ。

考えてみればこれは妙な話で、一年のうちでトータル一週間くらいしか帰らないのに、「ちょっと行ってくるわ」はないだろう。

 

翌日、初めて一人で祖父母の墓参りに行った。

 

祖父は僕が小学二年生のときに亡くなった。当時の僕は、祖父が長く入院していた期間もずっと、彼が死ぬということについては考えなかった。母に連れられて見舞いに行っても、祖父に会った記憶はない。両親は、おそらく変わり果てていたはずの祖父の姿を、僕に見せたくなかったのだろう。あるいは、祖父自身がそう望んだのかもしれない。僕はたいてい弟と二人で待合室のような場所に座り、他愛もない話をしていたような気がする。

 

ときどき、僕は間違っていた、と思うことがある。

何としても、会おうとすべきだったと。

冷静に振り返ってみれば、七歳の子どもが死について考えるのは無理な話かもしれなかった。

それでも、考えるべきだったと。

 

午前八時の九月の墓地には穏やかな雨が降っていて、僕は祖父が好きだったワンカップの日本酒を供え、墓石の前で煙草を一本吸って、立ち去った。

彼は五十代でぴたりと煙草をやめたそうだ。僕は祖父が煙草を吸っているのを見たことがない。

遺影をまともに見られなかった葬儀から、十八年が経つ。

祖父も、僕が煙草を吸っているのを見たことがない。

 

祖父母の眠る場所から家に帰るまでの車の中で、僕はもしかすると、もう二度とこの町で暮らすことはないかもしれないと思った。

別に今に始まった考えではなかった。十九のとき、二度と暮らさないつもりで町を出たのだ。

それについて後悔したことは一度もない。

でも、ときどき、ちょっと悲しくなる。

自分で選んだ道なのに、後悔も迷いもありはしないのに、ちょっと、悲しくなる。

 

 

「行ってきます」。

その日の夜、両親に背を向けたままそう言って、僕は町を出た。

 

 

僕はここでは暮らさない。

でも、ここ以外には帰らない。



2007年10月04日 
小澤 守生 

久しぶりに時間があったので存分にオシャレをして出かけた。

やっぱ気持ちいいね。なんかこうリフレッシュできる。

学生時代は服を着ることも遊びにいくこともごく当たり前だったこと。

でも今はそれが当たり前じゃないんだって実感してる。

やりたいことがやれるって

ただそれだけで幸せなんだよね。

やりたいことがあるって

ただそれだけで人生を精一杯生きる理由になるんだよね。

僕には夢があった。

今思えば、「なんて無謀な夢なんだ」って笑っちゃうくらい大きな夢だった。

けどその頃はがむしゃらに夢を追っかけてた。

周りの言葉なんか聞かず、夢だけが僕の行動を決定する材料になってた。

なんか憎めないんだよね。馬鹿にできないんだよね。その頃の自分を・・・。

叶わない可能性の方が明らかに高いのにただ真っ直ぐぶつかることしか知らなかった自分を今思い出すとすげぇなって思うことができる。そんな生き方をしていた自分が少し誇らしげに感じた。

人によって夢の形は違うけど

その夢に大小はない。夢があることがまず素晴らしいこと。

かといって夢がないといけないのかと言われるとそれも違う。

ただ夢ってのはそこら中に転がっていていつ出逢うかもいつ手に入れるかも分からないものなんだよね。

人間同士の出会いと一緒で夢にいつ遭遇するかもわからない。だから人生は面白い。

今、僕には夢がある。自信持って人に言えるほどすごい夢じゃなくてホントに小さな夢・・・。

だけどホントに大切な夢を最近ようやく手に入れることができた。

叶うか叶わないか。今の僕には分からないけど1つだけ分かっていることは

その「夢を叶える」っていう気持ちが本気であること。

そのためならなんだってできる。僕の中で夢は実現するものじゃなくて

実現させるもの。

そのために今、できることを精一杯やっていく。それが僕の生き方。

夢があるから人生を楽しめる。

夢があるから人生を頑張れる。

生きてきた中で散っていった夢は数え切れないほどあった。その度に悩み、落ち込み、現実を痛感してきた。

その中で、今、僕はまた新たな夢に出逢えた。

新たな夢をみつけた。

その夢を大切にしていきたい。

これから先、夢の形は変わっていくかもしれないけどそれでも強く生き続けていきたい。

夢を追い続けていきたい。

そしていつか、僕の夢が叶ったら自信を持って人に伝えていきたい。

「これが僕の夢だ」って・・・。

「これが僕の人生なんだ」って・・・。

 



漂泊の思い 2007年10月03日 
長神 智康 

「漂泊の思い」

 

松尾芭蕉は奥の細道で、旅に出たいそわそわした気持をこう表現している。

自分はとても共感できる、と授業をしながら思っていた。

 

箸本先生と「今度旅に行ってくるよ」なんて話を豊橋本部でしていた。

 

話はそれるが、箸本先生とは、お互い「孤独を愛する」者同士で、それがゆえにテニス以外は二人でどこかへ、というのが一度もない。なのでまた酒でも飲みにいきましょうか。

 

今回はその旅の一部を写真付きでお送りします。

鳥取県にある「三佛寺(さんぶつじ)」というお寺です。

世界遺産登録されるか、候補の1つになっているところです。いまどき携帯が使えない山奥です。

 

目指す先は、山のふもとからさらに奥にあります。約40分かけて登りました。

 

山に入る前に、住所、名前、連絡先を書いて(こわっ)、人生初のわらじをはいて、たすきをかけて出発。気分は修行僧。

右の写真のような、ありえない、という場所をのぼっていきます。ほぼ垂直。ここが一番の難所かなあ。

 

途中休憩できる場所もありますが、見ての通り、落ちたら…DIVE TO BLUE わからんか(^^;)

座っただけでもこわかった。

 

 

目的の場所に到着、この時点で汗だく。

ていうかどうです?この神秘さ。

写真だと伝わりにくいのですが、崖なんです、どう見ても。奈良時代の昔に誰がどうやって造ったのかは未だ謎みたいです。


杉林先生には、山を下りて、電波の入るとこまで行って写メを送りましたが、いいですよ、本当に。
言葉が出なくなります。歴史の重みがひしひしと伝わってくるっていうか、心が洗われますよ。


もっと多くの人に知ってもらいたい、古き良き日本の姿。あまり「観光地化」されていない良さもあるので、世界遺産になっちゃうと・・・と勝手に心配してますが、とにかくおすすめ。

みなさんもここに行く機会はなかなか作れないと思いますが、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

 

実はこれ2回目なんですが、もう一生行くことはないのかなあ・・・。

 



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