本当に、終わったんだなと。
何だか凄い一年、というか一シーズン、だった。良くも悪くも。
一つ何かを得ると、一つ何かを失う。
これはもう、逃げようのない法則じゃないかな。
お金を得ると飢えを失ったり、経験を積むと若さを失ったり、恋人ができると孤独を失ったり。色々。
で、得るものと失うものを、いちいち天秤にかけてみたり、敢えて天秤を放り出したり、そんな余裕がなかったり、余裕のないふりをしてみたり、結局、選べないうちに結果だけ決まってしまっていたり。そんなこんなで、時間だけは確実に失っていて。日々。
僕はときどきリストを作る。
それはたとえば「この一週間ですべきこと」のリストだったり、「来月までには終わらせたいこと」のリストだったり、「いつか遂げたいこと」のリストだったりする。
ここ何日か、この一年で自分が得たものと失ったもののリストを作ってみようか、と考えていた。昔読んだ小説に出てきたみたいに、ノートの真ん中に一本、線を引いて、左に得たものを、右に失ったものを書いてみる。そんなことをやってみようかと。
で、結局やめた。代わりに、僕は自分に一つだけ質問をした。
「この一年で得た全てで、失ったものの埋め合わせはつくのか?」
一つ得ると、一つ失う。
その鉄則にのっとって言えば、リストの右と左は同じ数にならなくてはいけないはずで。
でも、違うな。
たぶん僕は、いざリストを作り始めたら、「得たもの」の欄にばかり書き込みをしていってしまうだろう。この一年、書くに値するもの、覚えておくべきこと、そういうものを本当にたくさん得ることができたと思う。それに比べて、リストに載せておくべき喪失なんてのは、大した数じゃない。そういう意味じゃ、実に素敵な一年だった。そんなにないや、書かなくてはならない「失ったもの」なんて。
それでも。
「この一年で得た全てで、失ったものの埋め合わせはつくのか?」
答えは「ノー」だ。
昔、あるロック・スターがこういうことを言っていた。
「俺は昔、家が貧しくて、遠足に満足な弁当を持っていくことができなくて、新聞紙に包んだコッペパンをひとつ持っていったら、みんなに同情されちまった。確かに今の俺には腐るほど金があるけど、あのときの弁当は、今どれだけ金を出しても食べることはできない」
ときどき、取り返しのつくことなんか何ひとつないんじゃないかという気がする。
何てことだ。恐ろしいね。でも、僕はそれを半ば信じてる。だって、取り返しのつくことばかりをやり続けられるのだったら、俺たちはいったい何だ?
で、「ノー」。
「ノー」なんだけど、埋め合わせはつかないんだけど……。
でも、チャラってことにしないか?
どうよ俺。そういうことにしないか?
君の満点で。
君の握手で。
君の涙で。
君の言葉で。
君の弾いてくれたあの曲で。
君の電話で。
君の手紙で。
君の笑顔で。
僕たちの、笑顔で。
それで、チャラってことに。
終わった。
本当に終わった。色々。
でも、もう始めなくちゃいけないから。
花吹雪が舞い、蝉たちが泣き叫び、落ち葉が積もり、熊たちが眠りにつき、そんなふうに、季節が巡るように、始まりは理由も理屈もなくやって来て、生きている限り、僕にそれを拒むことはできない。
始まりから逃げられないなら、せめて始まりを選び取ろう。そうでなければ、ただただ流されてゆくしか道がなくなる。
たとえ埋め合わせはつかなくとも、永遠につかないままでも。
いつまでもここにいるわけにはいかないや。
だから、そういうことにしないか。
始めるために。
チャラってことに。 |