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火曜日の田原校の授業後、ある生徒から「箸本先生仕事ばっかりしてちゃだめですよ」と警告され、うーむそうかと思って京都に行ってきた。夜中の二時過ぎに豊橋を出て、高速を飛ばしすぎない程度に飛ばし、夜明けにサービス・エリアで眠り……という感じのせわしない小旅行。
よりによってそんなふうに休みを過ごさなくてもいいんだけど、何て言うか……一度、自分の気持ちを整理するというか、落ち着けるというか、そういう必要があったんだろうな。自分が混乱しそうなとき、僕には過剰なものが必要になるみたいだ。今までもずっとそうだった。
京都は僕が大学の四年間を過ごした町で、色々と思い入れもある。
一日だけの短い旅行だったけれど、びっくりするくらい色々なことがあった。たくさんの出来事と様々な想いが、いっぺんに押し寄せてきて、僕は一瞬、自分がどこに生きているのかわからなくなりそうだった。
全てを記憶したまま生きてゆけるほど人はタフじゃない。それでも、忘れるべきじゃないと感じるなら、忘れるべきじゃない。僕はそう思う。それがつらいとかどうだとか、そんなのはまた別の話。別に楽をしたいと思って生きてるわけじゃないんだから。そして、忘れないということと、ある場所に留まり続けるというのも、また、別の話。忘れることは救いかもしれないが、救いがなければ生きていけないわけじゃない。
昔、何かの本で読んだんだけど、砂漠に行くと、人は自分自身と向き合ってしまうそうだ。
なぜか?
砂漠には何もないから。自分以外に向き合うものがないから。
帰り道、午前三時の高速道路を走っていたとき。もしかしたら僕は、それに近い体験をしたのかな。
眼前のアスファルトと白線だけがヘッドライトに照らされていて、のろのろと走るトラックの群れが消えて、聴こえていたはずの音楽が途切れた瞬間、僕は、これ以上うまく言えないけれど、トータルとしての箸本竜也というものが、ちょっと見えた気がした。
そこで認めざるを得なかったのは、僕の中のある一部分は、いまだに、決定的に、過去を向いてしまっているということ。阿呆かとも思うけど、仕方ない。
けれど、同時に、トータルとして見ると……今の僕は、前を向いてる、と言っていいんじゃないか、って。
仮に僕の一部分がズタズタであるにせよ、それは、箸本竜也という人間がズタズタであるということにはならないんじゃないか、って。
定期テストで言うなら、数学は50点しか取れなかったけど、トータルでは450点取れたっていうかさ。いや、そんな奴いたらすげーけど。そんな感じだ。
「そうじゃないか?」
僕は声に出してそう言ってみた。返事はなかった。でも、返事は要らなかった。
それで色々なことがチャラになるわけではないし、手放しで喜んだわけでもない。けれど、それは僕が見出した、一つの小さな答えだった。
僕が「前を向いている」というとき、その「前」というのは、君たちが立っている場所と等しいのだと思う。
僕の「前」には、君たちがいるのだと思う。
昨日、泣きすぎたこと、ごめん。
けれど、僕の前に現れてくれたこと、ありがとう。 |