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最近「幸せ」についてよく考える
幸せって?
形で表現するならば、それは ○(丸)だ。
三角、四角 「幸せ」は、角というきっかけが無い。
きっかけが無いから、どこから始まっているのか分からない。
どこまで続いているのかも分からない。
丸いせんべいを二つに割ってみれば、それはほぼ、「対」となる。
この世界は「対」であふれている気がする。
白・黒 朝・晩 男・女 勝ち・負け。
もちろん、美しく真っ二つには割り切れない。
それでも ○ は、合わせれば美しい一つの円を描くのだ。
一つの丸=幸せ を描くには、相反するものが必要ではないのか。
「対」があり、感じることができる。
それはまるで 寒空の下で飲む温かいミルクティーのように。
それはまるで 暗闇で光を放つ星のように。
そしてもう一つ。
心の向きがどちらならば、幸せを感じれるのだろう?
相手と向き合って、「視・合わせ」なのか
「背・合わせ」で相手とは逆向きなのか
私にはまだ分からない。
「視・合わせ」=「幸せ」とは美しく割り切れないから。
でも、どちらの向きが幸せだなんて、分からなくていいのかな。
きっと、私には私の、相手には相手の向きがあるのだろう。
美しく割れない。
向きだって違う。
でも、合わせれば丸くおさまって 一つになる。
一つだけ自分の中ではっきりした。
幸せは、相手がいないと始まらない。
「対」を意識できた時に、私は丸い幸せの中にいるのだ。
その幸せが、どこから始まってどこまで続いているのかは分からないけれども。
生と死も、丸い円になっているのかな。
始まりと終わりは同じ位置にあるのかもしれない。
そう考えると、
文章の最後にしめくくる記号を、「。」にした人間て
何かすごい。センスあるな
なんて思ったりして。
結局、幸せなんて一生分からないのかもしれない。
それでも、「対」を
相手を感じて生きることができたならば、
きっと。 |