卒業ライブの後、わずかな荷物を車に積み込んで、京都へ。
ライブでかぶっていた帽子を手に部屋のドアをロックしたとき、何か、「旅に出る」っていう感じがした。
車の中ではこの日のために編集した五枚組みのMDが流れていて、その一枚目の一曲目は、ビートルズの「レット・イット・ビー」だった。
「あるがままに……」
別に京都じゃなくても。別に今日じゃなくても。
そうなんだけど、これが僕のあるがままなんだな、と思った。
「これもハスキーにとっては大切な……」とちゃんとわかってくれている紅林先生が嬉しかった。
さすが、この世で一番か二番に僕の文章を読んでくれているだけある。
夜明け方に大津のサービス・エリアで眠って、松岡先生からのサプライズ電話で目覚め、四年を過ごしたアパートの近くにある公園を訪れた。
ベンチに座って煙草に火をつけた瞬間、綺麗なデジャヴがあったが、実際それはデジャヴでも何でもなく、一年前も同じことをしたからに過ぎなかった。
真夜中の高速道路の上から繰り返し頭の中を巡っていたのは、卒業ライブの一日、熱に浮かされるような中で過ぎていった、ギリギリのところで現実に引っかかっているような強烈な一日のこと。
リハーサルで声が出なくて、胃がキリキリキリキリと痛む中、僕は鏡の前に立って、夏目先生と清田はるかしか知らない(二人とも人に言わないでね)「本番前の儀式」をやった。
控え室に満ちていた煙草の匂い。
口の中に残っていたのど飴の香り。
受け付けで次々に卒業生たちを迎えたこと。
必ずみんなを笑って見送るんだと……その約束を、果たせたと思う。
アユミ、いつもの笑顔でいてくれて、本当にありがとう。
驚くほどの参加率だった豊川本校の現塾生たち。
特にトモヤとシュンヤとケントが来てくれたのにはびっくりした。
「おお、私の可愛い息子たちよ」と近づく僕に、「せんせー」と駆け寄ってきた、というのは嘘で、笑顔で後ずさりしながら逃げていった少年たち。そのへんが豊川らしくていいなあ。
だいぶメイクも上達した感のある、一年前の卒業生たち。
リエもアイリもアツコもユミコもサエリも……書ききれないけど、みんなありがとう。
ステージを照らしたスポットライトの眩しさ。
バリカンの圧倒的な演奏。
「おいおい、この後で歌うのかよ」という嫌なプレッシャーも消し飛ぶくらい凄かった。
客席にかぶりものを投げた中尾先生の爽やかな残像。
その中尾先生に踏みつけられていた三輪先生の全然爽やかじゃない残像。
Smoke‐Eのクールなダンス。
「卒業おめでとう!」というモリオのシャウト。
「一緒に行こうぜ。『夜の街へ』」
我ながらカッコつけすぎだな、と笑ったこと。
ステージから眺めるペンライトの群れは、魔法のかかった夜の海みたいだった。
松岡先生と小田先生のパワフルなコーラス。
および、「死んでなんかないっ」の松岡先生独特の振り付け。
合唱後の最初のステージ、いきなり空気を作ってしまう相変わらずの広田先生。
「My song」、小宮先生のしびれるギター・ソロ。
緊張をまるで感じさせない、板倉先生の伸びやかな声。
「We are crazy」のラスト、一瞬目が合ってうなずいたベッカムのカッコよすぎる笑顔。
遊び心に溢れた、塾長の優しいMC。
そんなふうに、思い出して、思い出して、思い出した。
三本木ガールズ、色紙と、歌、ありがとう。
あの歌は、この何年かで一番驚いたプレゼントだった。
「It’s something unpredictable
But in the end is right
I hope you had the time of your life」
僕が泣く可能性は95%だったらしいけど、それはある意味正解で、あのとき僕は、95%は泣いていた。残りの5%で泣かなかったのは、ただ、笑顔で見送りたくて。
ミスズ、あなたが色紙に書いてくれた僕の文章の件だけど、そのとおりだと思う。
僕は自分ではわかってたんだけど、色紙を読んでて、一瞬、鳥肌が立った。
入試の国語とは何の関係もなく、あなたには素晴らしい言葉の才能があると思う。
マリエさん、講座でしか教えたことないけど(まあ特別補習を一回やったか)、ありがとう。
あのね、「Broken Youth」が終わったとき、「チキショー声出なかったぜ」とちょっと悔しかったところにあなたの声が届いて、泣きそうだった。
「最高」なのは僕ではなくて、あなたであり、あなたたちです。
ベタベタの喉からカラカラの声で、マイクを通さずの「ありがとう」だったけど、届いたかな。
アヤノ(マツダのお嬢さん)、可愛い手紙ありがとう。
とても自然で、真っすぐで、あなたらしい手紙だった。
最前列ではしゃぐあなたの姿はステージからもよく見えて、楽しかったよ。
アヤノ(イシカワのお姉さん)、手紙を読みながら、最後の通常のときのことを思い出した。
あなたは本当に本当に開拓塾が好きだったんだなあ。
三年間、ありがとう。
本部に戻って読んだ卒業作文のこと。
みんなの優しさに、温かさに、美しさに、胸が熱くなった。
この子たちが開拓塾の生徒でいてくれて、よかったと。
ヒロノ、申し訳ないけど、びっくりしたわ。
国語があんなに苦手だった(一番補習やったなあ)あなたの、素晴らしい作文。
とても澄みきっていて、あなたそのものみたいな文章だった。
出会って、見送って、僕はそれで、悲しくはない。
たとえいつか遠いところで、あなたが僕たちを忘れても。
それでも、「忘れない」と書いてくれた、あなたや、あなたや、あなた。
塾長、言い出すとキリがないので「全てに」みたいな曖昧な言い方になっちゃうんですが、ありがとうございました。
僕の人生に贈られた最高のギフトのひとつが、開拓塾です。
ステージでキスを投げた(やりすぎたなー)ときの二川校ガールズの歓声。
「Broken Youth」が終わって控え室に戻ったとき、紅林先生と交わした握手の感覚。
アンコールの後、見えなくなるまで手を振って。
「ナナ、ナナ、忘れないさ……」
僕がこの目で、この耳で、この心臓でとらえたことの全てを、できる限り刻みつけたかった。
そういうふうにして生きてきたんだもの。
魂に、刻まれるように。
どんなに詳細な文章をもってしても、どんなに画質のいいカメラをもってしても、あの一日には届かず、それでも、魂に刻まれた記憶は永遠だ。
本当だよ。
そうできるように、僕が生きてゆくから。
京都。
何もかもがひとつの終わりを慈しみ、既に始まっている次の季節をいっとき忘れることを許しているかのような、静かな三月の土曜日、時が止まったみたいなそのベンチの上で、僕は深く煙を吸い込んでわずかの間息を止め、この街が、この空が、永遠を刻む背景だと思った。
そこには一小節のメロディも流れず、それでいて、決して鳴り止むことのない無限の音楽があった。 |