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レット・イット・ビー 2010年03月11日 
箸本‘husky’竜也 

 今日、車の中で、久しぶりにビートルズを聴いた。

 

 僕はビートルズが本当に好きだが、めったに聴かない。

 理由は高校のときからわかっていて、ビートルズを聴いていると、「もしかして他の音楽なんて要らないんじゃないか」という錯覚(かどうかはわからないが)に陥りそうになるからだ。

 常に新しい音楽との出会いを求める自分の音楽生活が破綻しそうで、怖いのだろう。

 

 僕がビートルズを好きになったのは中一のときで、その頃は、両親の持っていたレコード(レコードだぜ)に針を落として、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」や「ハロー・グッバイ」や「ヒア・カムズ・ザ・サン」や「サムシング」や「アクロス・ザ・ユニバース」や、そして何よりも「レット・イット・ビー」を、何度も繰り返し聴いていた。

 

let it be」というのは(中三のみんな入試には出ないけどね)、「そのままにしておきなさい」、「あるがままに」、というような意味だ。

 

 ビートルズとの付き合いも、今年で人生の過半数を超えたことになる。

 

 思えば、「あるがままに」という曲が大好きなくせに、とても「あるがままに」だとは言えないような生き方をしてきた。

 むしろ、あるがままの何かをねじ曲げたり、壊したり、そっちのほうに時間を割いてきたような気がする。

 

 あるがままに生きてきたなら、今の僕はなかった。

 それが正しいかどうかはまた別として、とにかく、そうなのだ。

 

 そして、ある意味、あなたもそうだったはずだ。

 あるがままの自分に勝とうとしてきた。

 あるがままの現実を変えようとしてきた。

 あるがままの未来を超えようとしてきた。

 

 あるがままに生きてきたなら、今のあなたはなかった。

 それが正しいかどうかを判断する力は、僕にはない。

 ただ、魂に誓って証言できることは、価値があったよ、ということ。

 そして、覚えているよ、ということ。

 

 でも、というか、だからこそ、最後の最後の最後の最後には、レット・イット・ビー、なんだろうな。

 

 受かっておいでよ。

 あなたの、あるがままに。


ストレンジ・アポロジー 2010年03月04日 
箸本‘husky’竜也 

 大学時代の友達からメールがあって、みんなで久しぶりに会わないか、と。

 

 ああ、そりゃ無理だわ、と思って、それだけ。

 メールを読んで二十秒後には仕事に戻った。

 

 サワキ、ホテイ、パタ、ルパン、マッチ君、そしてシノハラ、みんなごめん。

 

 うまく言えないが、会えないことに対する謝罪では、別にない。

 結局、一パーセントの迷いもなく、正直、謝罪の気持ちもなく、僕は自分の目の前の現在をとった。

 そのことを、何となく、謝っておきたい。

 

 素晴らしい時代をともに過ごした友人たちと、四年ぶりに会えるかもしれない機会を逃すことに対して、悲しさも虚しさも、何もない。

 そんな感情で生きていることに、別に呵責を感じるわけじゃない。

 今の僕は、そういうふうに生きてなきゃいけないと思うしね。

 ただ、ちょっとだけ、みんなに対しては後ろめたかった。

 

 ごめんよ。

 友達、なのにな。

 

 サワキ、これを読んでたら、みんなに伝えてほしい。

 ハスキーは元気だ、って。

 超充実してるらしい、って。

 三月から三校舎の校長だ、って。

 色褪せない価値のある過去があるけど、それを共有できたことを忘れてないけど、あまりにも柔らかい未来を抱えた、たくさんのいい子たちに恵まれているから、今のハスキーにとっては、ほとんどそれで全部なんだ、って。

 あの頃と幸福の定義は変わっちゃったけど、幸せみたいだよ、って。

 

 会えないけど、

 よくわかんない謝り方をしてたけど、

 友達だ、って。



あなたがいない日の約束 2010年02月24日 
箸本‘husky’竜也 

 一昨日は二川、昨日は豊川で、通常授業が終わった。

 泣いて泣いて泣いて終わった。

 全く悲しくはなく、みんなが泣いてたから僕も泣いた、と、人のせいにしておく。

 感傷的になっているわけじゃない。

 ゴールはまだ、もうちょっと先だ。

 それでも、毎週続いてきた授業から、ひとまずみんなが旅立つことへの感慨。

 

 タクム、ユウカ、アヤネ、ユウタ、マイ、トモヤス、シンタク、一足早く、おめでとう。

 ここまで、よく走ったよな。

 卒業ライブで会いましょう。

 

 マユ、アイリ、ユミ、ヒロナ、泣いて泣いて泣いて笑って帰っていくのが、あなたたちらしかった。

 俺ら、いいチームになったよね。

 もう二度と現れないかもしれないな、校長の僕を「箸本」と呼ぶ子たち。

 

 ヒロノリ、ヤスト、一年間、いつも二川校にいてくれたこと、ありがとう。

 黙って僕の写メを撮って帰っていくヤストが、実に、ヤスト。

 二人とも気持ちの表現が本当に下手だけど、ずっとこのチームを引っぱってくれたね。

 

 リサ、ミホ、二人とも明るく特訓を続けたね。

 最後まで、そんなふうに向かっていくんだぞ。

 あなたたちなら、できるから。

 

 アサミ、来るところまで来たな。

 三月にはとても見えなかった地点に立っているあなたを見送れて、よかった。

 

 ショウマ、小学生の頃から、あなたは、ずっとずっと、開拓塾を向き続けてくれたね。

 最後の日に、そのことが、本当の本当にわかった。ありがとう。

 

 ヨウタ、合格発表以外で生徒と抱き合ったのは初めてだ。

 大丈夫、たとえ全てが消えてなくなっても、僕がちゃんと覚えてるから。

 本当に開拓塾を好きでいてくれて、ありがとう。

 

 カオリ、ダイキ、マサコ&トモコ、アガキーズ解散だね。

 西尾先生と一緒に、今までよく頑張った。

 まだ伸びるんだ。最後まで信じて走るんだよ。

 

 ムネヒサ、一年間、ありがとう。一度も漢字テストで間違わず、一度も休まず。

 それだけ強いあなたが、うつむく必要なんてないんだ。受かってきなさい。

 

 アミ、最後まで、できることをね。

 逃げ出したくなるようなときも、結局、進んできたじゃないか。

 もう少しだよ、一歩一歩。

 

 マユ、感情が、溢れ出したね。

 それがあなたということで、いいじゃないか。

 次は、合格発表の日だね。信じて待ってる。

 

 エミ、長文、毎日読むんだぞ。

 ギリギリのギリギリまで、進み続けよう。

 今までずっとそうだったように、たったひとつのゴールだけを見つめて。

 

 ミユ、不安を吐き出したくなったら、本部に電話でもしてきなさい。

 あなたは、大丈夫。

 それに、急に一人になるわけじゃないんだ、心配しないで。

 

 たっちゃん、手紙ありがとう。

 うまく言えないが、今まで誰にもらったどんな手紙とも、全く違ってた。

 あなたの手紙の中には、本当に、あなたがいた。

 豊川からの帰り道、「wake me up when September ends」を聴きながら、この手紙があれば、僕は生きている限り塾講師がやれるような気がした。

 

 本当には何も終わっていない、あくまで暫定的なフィナーレを終えて、ひとつ、約束を。

 

 あなたの姿が見えない日も、

 あなたの声が聞こえない日も、

 あなたの笑顔に会えない日も、

 心の中であなたの名前を呼ばない日は一日もない。

 心の中からあなたの笑顔が消える日は一日もない。

 

 最後の最後の日には、あなたが一人で、ステージへと駆け上がる。

 

 そのときまでは。

 

 たかだか塾講師という肩書きを背負って、

 ただただ合格という同じ未来を描いて、

 遠く離れて、傍にいる。



氷解 2010年02月11日 
箸本‘husky’竜也 

 情けないことに、この大事な時期、土・日に胃腸風邪でダウンして(でも授業なくてよかったー。そこを狙って倒れるあたりが、さすが俺)、月曜には復帰し、火曜、豊川本校に行くまでの道で。

 

 体調のせいもあったのか、珍しく、俺、ちょっと弱ってるのかな、と思った。

 

 僕の主観の中では、肉体と精神は厳密にリンクしている。

 というか、そのふたつは不可分なものであると思う。

 

 中三生にはよく話すとおり、感情にも選択肢があり、選択権がある。

 大学生のときに書いた文章が残っているが、そこには「思うべきこと、感じるべきこと、そして、思うべきでないこと、感じるべきでないことも、あるのだ」と書いてある。

 当然、いまでもその考え方は変わらないし、変わることは生涯ないだろう。

 

 この一ヶ月、例えば「つらい」という感情に精神が支配されたことは一秒たりともない。

 というか、仕事を始めて以来、そんなことは一度もない。

 それは、僕にとっては極めて自然なことだ。

 でもその「自然」というのは、本当の自然とはちょっと違うのかもしれない。

 仮に、「本当の自然」というのを、一切の手を加えない、あるがままの状態、と定義するならば。

 根っこのところで、「つらいと感じる資格なんかねえんだ」と決めこんでいるから、そうなれているのかもしれない。

 もう、わかんねえけど。そのへんは。

 

 仕事でも個人的にも(この二つも本当は不可分だが)、色々あった一ヶ月だった。

 その中で、やるべきこととやりたいことだけが腐るほどにたまっていき、どこまでやっても追いつかない現実や、ギリギリのところで何とか都合をつけているに過ぎない自分のふがいなさや、そういう、何もかもが、あり。

 

 いつの間にか、ずいぶんな負荷がかかっていたのかな。

 あまり認めたくはないが。

 で、「弱ってるのかな」と。

 

 ただ、そういう思いは、豊川本校の玄関に立って生徒を迎えている間に、あっけなく氷解した。

 

 ハットリちゃんの頬をつまんだり、チヒロの肩を揺さぶりながら学判の手応えを聞いたり、オザキと握手を交わしたりしている間に、溶けて、消えた。

 

 ああ、これも原点だったな、そういえば。

 弱っているかとか、全部、どうでもいい。死ぬほどどうでもいい。

 一年目から、そうだったよな。

 

 みんな、ありがとう。

 誰一人としてうまく伝えられなかったが、あなたたちがいる限り、俺は、大丈夫。

 

 そういうことなんだろう。

 きっと、そういうことなんだろう。


ナイト・ウォーカー 2010年02月03日 
箸本‘husky’竜也 

 もともと、夜歩くのが好きだ。

 歩くのは別としても、朝より、総じて、夜が好きだ。

 これが逆だったら、たぶん、塾講師になってなかったんだろうな。

 

 昨日の夜、新鷹丘校の授業が終わった後、近くのモスバーガーでモスバーガーを買って、池のある公園まで出かけた。

 

 車を出るとムチャクチャ寒かったけど、池のほとりまで首を縮めて歩いた。

 よくわからないけど、説明不能の行動をしなければいけないタイミングというのがある。

 その行動の理由は、ずっと先になってわかったり、いつまでもわからなかったりするが、何であれ、そういうときは直感に任せることにしている。レット・イット・ビー。

 

 ただし、どっちにしても、そういうときの自分の状態というのは、決してよくはないのだ。

 

 池には「水神池」という名前がついていた。

 僕は(海以外の)底の見えない水が怖い。沼とか。

 アレ、絶対、何かいるからね。主(ぬし)みたいなのが。

 カエルとナマズとヘビを足して、3で割っても2余るような奴が、絶対いるもん。

 そんなことを考えながら池を眺め、モスバーガーをもしゃもしゃ食べていると、真っ暗な水面が急にバシャバシャと波立ち、「クエー」みたいな鳥だか何だかわからない声がして、「ひいー」と思った。

 出る。今にも現れる。水神が。3で割っても2余るのが。

 

 しかし、いつになっても神も仏も姿を見せず、身体は刻一刻と冷え、水面は二度と鳴らなかった。

 

 結局、どこにいても、何をしていても、思考は同じ場所に戻るよな。

 馬鹿みたいな話だが、原点とはそういうものなんだろう。

 それはもう、とっくの昔に、僕の人生の一部だ。

 それがなかったら、僕の人生はない。

 

 もう、腹をくくるしかないよな。

 付き合うよ。俺は付き合う。
 あなたも、あなたも、そうすると決めたんだもんな。


 きっと、「無理だ」って言う人たちがたくさんいる。

 俺は言っちゃ駄目だ。

 俺だけはそれを言っちゃ駄目だ。

 特に、心の中では。

 

 相変わらずモスバーガーをもしゃもしゃと食べながら、僕は、「おえはまらいおらない」と言い、やっぱり物を食べながらだとイマイチ決まらねえな、と思い直して、烏龍茶を飲んでから、もう一度、「俺はまだ祈らない」と言い、ペットボトルを握りつぶして、池に背を向けた。


 まだ、あるんだ。
 時間も、やるべきことも、できることも。
 最後の最後のときまでは。
 そのときまでは。
 

 風は冷たく、暗い水の中にいるものは不確かで、それでも月だけは輝いているというような、実に当たり前の夜の中を、歩いて。



忘れてないよ 2010年01月11日 
箸本‘husky’竜也 

 わりに最近、三年前の卒業生が二人、豊橋本部を訪ねてきた。

 二人とも大学に合格した、という報告を手土産に。

 

 リナはこれ、読んでくれてるらしいから、三人称で書くのもアレだけど、彼女たちは、僕が塾講師になって一年目、最初に送り出した中三生だった。

 

 おめでとうーなんて、のん気に言いながら、僕はけっこう鮮明に、一年目に豊橋本校の中三生を教えていた頃のことを思い出していた。

 

 そうか、リナとカノコが高校卒業か。

 時間っていうのは、変な流れ方をするな。

 そりゃ、僕も歳をとるわ。

 大学を出て、文字通りがむしゃらに、目の前の生徒のことしか考えられずに走っていた男にも、色々と考えることが増え、授業も多少は上手になり、校長を務めるようになって、責任も大きくなり、後輩もたくさんできて、偉そうなことを言うようになり、現場で泣かなくなった。

 

 でも、リナ、俺ね、合格発表の日、本部の三階で見た、東高校の合格発表のビデオ、岡崎先生にあなたが報告していたときの笑顔を、忘れてない。

 

 カノコ、俺ね、Aグループの日、202教室で一緒に国語を自己採点して、あなたが満点だったときのことを、忘れてない。

 

 あなたたちにどれほど救われていたかを、忘れてない。

 

 そういうのはね、何ていうか、俺の一部。

 今までも、これからも。

 あなたたちがどこにいても、何になっても。

 うまく言えないが、それが、俺、ということかな。

 

 今年も大変なんだ、入試。

 正直、不安で吐きそうだし、頭おかしくなるくらい受からせたいし、事実として箸本君は頭がおかしいという説もあるし、大変。色々。

 

 でもね、俺は、絶対に折れない。

 この世に絶対と言い切れることはあまりないが、これは、絶対、と言っていいと思う。

 そういう人間、だった、わけじゃないと思う。

 そういう人間に、なれたんだ。

 あの一年目で。

 最高だったよ。

 二十三の社会人が、あれ以上どんな一年目を望めばいいのか、俺にはわからん。

 

 三年前にあなたたちに伝えた言葉を、今さらながら、もう一度言っておこう。

 開拓塾を選んでくれて、ありがとう。

 あなたたちがいてくれて、よかった。


 三年、か。

 リナ、カノコ、俺さ、あなたたちが卒業してからの三年間で、たぶん、二人の想像をかなり絶した成長をしたと思う、マジな話。

 でもね、ある部分では、ある意味では、一番大切ところでは、

 

 変わってないよ。

 忘れて、ないよ。



いいな、いいな 2009年12月29日 
箸本‘husky’竜也 

 個人的な話だが、今年を振り返って、ひとつ。

 

 僕にはいくつか欠落している感情があるが、その最たるものは「うらやましい」という感情ではないか、と思う。

 

 僕は「うらやましい」という感情を持つことが、基本的に、ないのだ。

 何でかな。よくわからない。

 

 ひとつは、物欲・金銭欲が(比較的)低い、ということがあるのかもしれない。

 誰かが持っているものがどんなに素晴らしくても、残念ながら(?)物欲が低いから、それを「自分も欲しい」とあまり思えない。

 ていうかねー、僕が「欲しい」と思うものはみんな安いのよ。本、CD、映画のDVD、そんなの別にムチャクチャ貯金したりローン組んだりしなくても買えるから、すぐ買っちゃう。幸せだ。

 あとは、本を読むくらいの時間は欲しいと言えば欲しいが、かといって、時間があり余っている人を「うらやましい」と思うかというと、そんなこともない。

 だからまあ、結論は、何もうらやましくない。

 

 じゃあ、物欲はともかく、技術とか能力とか才能とか、についてはどうなんだ、と。

「箸本竜也として、こういうことができるようになりたい」、これは、もちろんある。

 そしてそれは、できるようになる。というか、できるようになるという前提で生きるしかない。

 そこに「うらやましい」という感情が入り込む余地はない。

 ただ、なろうとすればいい。

 だからまあ、結論は、何もうらやましくない。

 

 それじゃあ、いくら努力しても手に入らないような才能みたいなものについてはどうなんだ、と。

「そんなものうらやましく思っても仕方がない」。

 例えばモリオ君の運動神経とかね。無理だもん。永遠に無理。

 冷めて聞こえるけど、たぶん、どっかでそういうふうに割り切ってるのかな。

「そんなものうらやましがってもしょうがねえだろ」って。

 僕は夢想家だけど、変なところだけ現実主義者なのかな。

 

 そんな僕が、だ。

 今年の秋、心の底から「うらやましい」と感じたことがあった。

 

 ある五人を見て。

 

 その五人は、友達同士ではない。

 でも、彼らの間には、「絆」という言葉も安っぽく響くほど強く、それでいて、「友情」よりもいい感じに乾いた、名前をつけられない、特別な何かがあって。

 

 それが、うらやましかった。

 

 その、「うらやましい」を感じた出来事が終わった後、僕は部屋に帰ってから、何もしないでしばらく座っていた。

 僕は「何もしていない」ことをひどくもったいなく感じてしまうので、だいたい常に何かしらしているのだが、珍しく、本当に何もしなかった。

 そのときの僕は、「ああ、あれは僕には永遠に手に入らないものなんだ」という事実と感情に慣れる必要があって、あれはたぶん、そのための時間だったのだろう。

 ただ立て続けに煙草を吸い、烏龍茶のボトルを二本飲み干し、ため息をついて立ち上がり、シャワーを浴びて、眠った。

 

 あまりに「うらやましい」に慣れてなくて、その扱いがわからなかった。

 

 ただ、何年ぶりか知らないが、本当に久しぶりに「うらやましい」を思い出して、ひとつ、よかったのは、自分がどういうものを欲しがっているのか、何を大切に生きているのかが、あらためてだけど、わかったことだ。

 それで、まあ、よしとしよう。

 

 でも、いいな。

 あの五人って。

 

 いいな、いいな。


叫ぶ、叫ぶ、叫ぶ 2009年12月26日 
箸本‘husky’竜也 

 叫び続けてるなー最近。

 

 僕が校長をやってる豊川、二川、そして昨日の三本木、今日の鷹丘、の中三のみんなは超リアルにわかると思うけど。

 

 色々伝えてるけど、要は単純な話で、俺らは合格に向かっていくんだ、ということ。

 そういう冬期講座に、どうしてもしたいし、しなけりゃならない。

 

 頑張る、頑張らない、その二択で言えば、みんな頑張ってる。

 

 だから、敢えて叫ぶ。

 俺たちは合格へ向かうんだ、と。

 

 見てなくちゃいけない。

 取りきる、という目的を。

 知をつける、という目的を。

 

 そして、何よりも、それらの果てにある、合格という目的を。

 

 同じ方角を向いていたいんだ。

 

 俺らは全然別の人間の集まりだ。

 冷たく言えば、所詮、他人だ。

 でも、結局、受かりたい人間と、受からせたい人間が一緒になって、走ってるチームだろ。

 

 塾講師一年目から、少なくともある一点、俺は、変わってない。

 馬鹿のひとつ覚えみたいに、合格、合格、合格。

 それがなくなったら、教壇なんて降りたるわ。

 

 俺たちの走る道は、暗くない。

 暗い道ってのは、後ろから正体の見えない何かが追いかけてくるような道だ。

 全然違うだろ。

 ただひとつの目的に、馬鹿みたいに近づいていけばいい道の、どこがどう暗いんだ。

 その道を、どうしてあなたが暗くする必要があるんだ。

 

 さあ、走れ。

 そして、突き抜けろ。

 

 道が暗くなりそうなときは、合格を叫ぶ声で、俺がその道を照らしてやる。


超ワクワクする 2009年12月23日 
箸本‘husky’竜也 

 冬期講座が始まる。

 

 あー眠れる気がしねえ。

 遠足の前日の小学生みたいな感じなのかな。

 

 中三生のみんな、突き抜けてほしいな。

 

 中一の頃からずっと頑張り続けている、あなたも。

 夏から生まれ変わったように走れるようになった、あなたも。

 余裕なふりして模試の判定に泣いていた、あなたも。

 ついに志望校をひとつ上げる決意をした、あなたも。

 

 笑顔も涙も期待も不安もひっくるめて、要は、今、あなたが走れているかどうかだ。

 突き抜けようとしているかどうかだ。

 

 大丈夫。

 人間には「その先」に行ける瞬間がある。

 それを、この冬にしよう。

 頼むぜ。

 信じてる。

 

 あー、やべーなー。

 

 はっきり言って、超ワクワクする。



向いているとかいないとか 2009年12月16日 
箸本‘husky’竜也 

 人が何かを「できない」というとき、その口実の最上級のひとつは「向いていない」というものではなかろうか。

 最上級、というのは文字通りで、それ以上完璧な言い訳はない、ということ。

 だって、突っ込みようがないでしょ。

「俺にはこの仕事、向いてないよ」

「いや、そんなことわかんねえだろ」

「うんにゃ、向いてないね。自分でわかる」

 おしまい。

 何が「うんにゃ」だ。それを言っちゃあおしまいだ。

「向いてない」。

 それは一種の聖域というか、他人にとっては侵攻不可の領域である。

 

 僕は、自分が塾講師に「向いている」とも「向いていない」とも思ったことがない。

 

 まず、自分の本質なんてのは、そんなに簡単にはわからない、ということ。

「自分の適性を見定める」とかよく言うし、就職活動をしている学生にはちょっと申し訳ないが。

 

 百歩譲って言うなら、向いているとかいないとか、そんなものは、結果論でいい。

 先の未来に、あるいは、全てが終わるときに、「結果的に言えば、まあ、向いていたのかな」と言えればいい。

 そういうラスト・シーンになるように生きていけばいい。

「向いてないのかも」と考え続ける日々よりも、そっちを選びたい。

 

 そして、二十七になって思うのは、おそらく、それを選んだ時点で「正しい」「間違っている」が絶対的に確定されてしまうような人生の選択は、あまりない。

 

 決まるのは、選択の、後だ。

 

 それから、もうひとつ、思うのは、自分が本質的にどういう人間かなんてことが問題にならない場合がある、ということ。

 戦場で「俺、戦いに向いてないから」とか言ってたら死ぬだろう。

 僕たちは兵士ではない、そのとおりだ。

 でも、生き抜いていくということは、そんなに簡単なことでもない。

 

 そして、何であれ、生徒がいて、入試が来る。

 僕が塾講師に向いていようが、いまいが。

 

「俺はこういう人間だから……」

 僕は、言わない。

 言うとすれば、

「俺ならやれる。なぜなら俺は、箸本竜也だから」

 

 それは、本質、ではないだろう、きっと。

 虚偽、ではない。

 ただおそらく、本質なんて大そうなものよりは、ずっと幻想に近いと思う。

 

 どうでもいい本質か、

 信じるに値する幻想か。

 その二択ならば、僕は、幻想をとる。

 

 向いているとかいないとか、どうでもいい。


 少なくとも僕の目は、合格へ「向いている」。



名前も知らないあなたに 2009年11月20日 
箸本‘husky’竜也 

 まあ僕のこと知らないかもしれないが。

 

 まず、個人的な話だけど、僕は高校が大嫌いだった。

 自分で志望しといて何だ、って話だけどさ。

 別に、高校というものを否定するつもりは1%もない。

 高校という存在を全否定するなら、高校入試に携わる仕事をやってちゃいけないでしょーよ。

 ただ、今高校生に戻っても、やっぱりあの高校を大嫌いだ、と感じると思う。

 二十七年間で最も戻りたくない場所だね、間違いなく。

 

 だから、事情は全く違うだろうが、自分が帰属している場所が気に入らない、その場所が楽しくない、それが非常に嫌なものだ、っていうのは、僕は何となくわかると思う。

 いたくなかったもん、高校に。表面的にはフツーに振る舞ってたけど、本当にその空間にいるのが苦痛でさ、昼休みとか高校抜け出して、近くの河原で音楽聴いたり本読んだりしてた。暗いなー俺。

 

 でもね、ほとんど常にいらだってたけど(笑)、別につらくはなかった。

 楽しくなかった、とも簡単に言えない。

 それはたぶん、ひとつは、目標があったから。

 大学合格なんてチャチな(って言っちゃまずいのかな…)目標じゃない。

 自分がどういう人間になるか、っていう、目標。

 あるいは、どういう人間にだけはならないぞ、っていう、目標。

 長くなるから詳しく言わないけどね。

 それがあったから、どんなに高校が嫌いでも、ある意味、関係なかった。

 貴様ら(←別にこれは誰でもない)とは関係なく、俺はなりたい人間になってみせる、って思ってた。

 とがってたなあ。協調性ゼロ。いかんね。

 ただ、今になって思うのは、死ぬほど居心地の悪い場所、時代、そういうものの中で、自分の核みたいなものが作られていくこともあるんじゃないかな、っていうこと。ちょっと難しいかな?

 あのね、つまり、僕はいまだにあの時代が死ぬほど嫌いだが、わかるのは、あの時代がなかったら、今の箸本竜也にはなれてないな、ってこと。

 これが励ましになるかはわからんが。

 あなたが「こうすべきだ」と強く思うことがあるなら、自分がそういう人間であればいい。

 周りがそういう人間でないことを嘆く必要はない。

 あなたが正しいとか、周りが正しいとか、そういうことじゃなくて、「こうすべきだ」と感じることは、みんな、それぞれ違いすぎるんだ。

 それだけ。

 言っとくけど、絶対に誰かと衝突するよ。

 絶対に誰かに後ろ指を指されるよ。

 でも、考えてみればさ、どんな生き方をしたって、絶対に誰かが悪く言うんだ。

 そんな中で、自分を押し通したり、相手に合わせたり(僕はアホだったからこれを全くと言っていいほどしなかったけど)、色々やりながら、少しずつ、自分がどういう人間なのかがわかっていったりする。自分がどういう人間になりたいのかがわかっていったりする。自分が絶対に譲れないところはどこなのか、わかっていったりする。そんな時代だったかな。高校って。

 

 もうひとつ。

 本当にどうしようもないほど楽しくないような日々っていうのは、めったに存在しない。

 ていうか、本当に絶望的な日々の中にあっては、「楽しくない」なんて感情すら生まれない。

 あなたより十年くらい長く生きている人間として、少しだけ偉そうなことを言えば、漠然とした「楽しくない」日々の中に、実は、楽しめるはずのことが腐るほど落ちてるんだ。

 

 ひとつ、くだらないエピソードを話そう。

 最初に言っとくけど、本当にくだらねえぞ。

 高校二年の冬だな、ちょっと色々あって、ガキなりに精神的にかなり参ってて、おまけに、大嫌いだった生物の教師ともめて、「もうやってらんねえよ」と思って、いつものように昼休みに高校を抜け出して、自転車であてもなく走った。

 で、ふと目についた中華料理屋に入って、何を思ったか、中華丼を注文した。

 したら、ほとんど奇跡的と言うほどに美味しかったんだ、その中華丼が(笑)。

 僕は救われたね、その中華丼に(笑)。

 でもね、そのとき、冗談抜きで、ああ、生きていくっていうのは、こんな感じなのかな、って思った。

 どうしようもないような気持ちのときにさえ、何かの奇跡みたいに、ちょっとした救いが落ちていたりするものなんだ、ってね。

 僕は、そういう温かいものをひとつでも多く拾い上げながら生きていたいな、と思った。

 そういうものをできるだけ見逃さずに生きていたいな、と思った。

 それを悟らせてくれたのが中華丼というところがダサい。

 できれば話したくなかった、このエピソード。

 まあ、そんな感じだよ。

 

 卒業生の現在や未来っていうのは、基本、僕の手の届かないところにあるが、かつて開拓塾にいてくれた生徒が、元気に楽しく生きているといいな、と、ときどき思う。

 これは、ガキみたいに単純で無責任な欲求だ。

 あなたが少しでも楽しく、ひとつでも多く温かいものを拾いながら生きていてくれるといいな、と、思う。

 

 がんばってね。



望月繁雄という生き方 2009年11月02日 
箸本‘husky’竜也 

 ゴルフの開拓カップの後は、麻雀の開拓カップ。

 タフだなーみんな。

 

 発案は塾長(一番強い塾長本人は、諸事情により今回は不参加)で、僕と三輪先生で大会ルールの詳細を決めて。まず、僕は企画が楽しかったな。

 

 大会は、塾長から「優勝候補の一角」と太鼓判を押してもらった箸本君が予選落ち、という波乱の幕開けで……ああ……マジで悔しい。仕事以外ではこの四年間で一番悔しい。

 駄目だなー俺。弱い。敗因はわかりきってる。ぶれてしまった。まだまだだ、私は。

 

 で、優勝は、望月先生。

 予選ブロックで僕にとどめを刺し、準決勝では国士無双をあがり、決勝は最後で逆転した。

 

「俺、麻雀で優勝って嬉しいやー」と、いつもどおり爽やかな望月先生に、僕は「望月先生の生き方の、ひとつの結果じゃないですか」と、できるだけ爽やかに言った。

 

 わかる人にはわかるが、この優勝は、重い。

 望月先生の麻雀の歩みは、ある意味で壮絶だからだ。

 望月先生は高校一年のときに塾長と知り合い、二十七年来の付き合いだが、その年月のほとんど全てにおいて、望月先生は麻雀で負け続けた。

 望月先生が極端に弱かったわけではなく、何しろ塾長が圧倒的に強いから、勝つのはいつもリューマ。負けるのはいつもシゲ。

 書いてしまえば簡単だが、それが、二十年以上続いた。

 僕はその日々をひとつもリアルに知らない。

 ただ、確定的に言えるのは、「僕なら麻雀をやめていただろう」ということ。

 そして、思うのは、望月先生は二十七年間、負けて嫌な顔をすることは一度もなかったのだろう、ということ。

 

 何かをやめることがいつも負けである、というほど、人生は単純ではない。

 それに僕は正直、「頑張り続ければいつかは成功する」と信じているわけでもない。

 それでも、逃げたほうが圧倒的に楽な場面で逃げない、ということの、価値。

 避けたほうが遥かに実理性がある場面で避けない、ということの、価値。

 

 きっと、望月先生には、「麻雀をやめる」という選択肢が浮かんだことすらないのだろう。

 それを惰性と呼びたい人は呼べばいい。僕は呼ばない。

 というか、僕は、望月先生のそういうところがいいと思う。

 どんな動機であれ、どんな思いであれ、百人中九十九人がやめるようなところで、やめない。

 望月先生は、そんな人だ。

 

 望月先生は、負け続けてもやめなかったから勝てたわけではない。

 しかし、やめていたら、絶対に勝てなかったのだ。

 僕が望月先生に言ったのは、そういうこと。

 

 望月先生、おめでとうございます。

 本当は、タイトルを「シゲの生き様」にしたかったんですが、ひよりました。

 もう二度と言わないと思うので、この場を借りて、一度だけ。

 

 おめでとう、シゲ。



ポジション 2009年10月17日 
箸本‘husky’竜也 

 しばらく更新していなかった。

 毎日読んでくれているらしいヨータ、ごめん。

 二つ書いたから許して。

 

 まあ、書かなかった期間は、敢えて、というところだな。

 塾長に言われるまで二十六年間気づかなかったが、箸本君は「位置」ということをとても気にするので。

 

 ポジション、というものがある。色々とね。

 社内で言えば、役職とか、「四年目」とか、「先輩」とか、「後輩」とか。

 現場で言えば、「国語の先生」とか、「校長」とか。

 社会で言えば、「会社員」とか、「塾講師」とか。

 家庭で言えば、「息子」とか、「兄」とか。

「ボケ」とか「ツッコミ」とか。

「友人」とか「恋人」とか。

 ポジション。

 

 サッカーでキーパーが前に出すぎるとまずい。ゴールを守るポジションだから。

 戦場で前線に出すぎると「自重しろ!」と怒鳴られる。知らないけど。

 ポジションを超えた行動は、ときに「出すぎたマネ」とか「身の程知らず」とか言われる。

 

 思えば、この三年以上、いつも少しだけ「出すぎたマネ」をしてきたのかな、と思う。

 本来的には、ポジションをとても気にする人間であるにもかかわらず。

 でも、僕の行動というのは、うまく言えないが、「ポジションを無視した」とか「ポジションを超えようとした」わけではなく、常に、「少しだけ身の程知らずの位置」を自分のポジションと決めてきた結果ではないか、とちょっと思う。

「今の自分だとヤバイかもしれない位置」を、自分のポジションにしてきた。

「今の自分が十分に守れる位置」ではなくて。

 

 僕は決して自分を過大評価しない。過小評価もしないけど。

 これは僕の数少ない自慢だ。

 ただ、冷静に言って、僕にできることはそんなにないと思う。

 十代の頃から、そういう前提で生きている。

 

 だから、せめて自分にできることを考えないとやっていけない。

 だから、せめて「身の程」以上のポジションを設定しないと価値を稼げない。

 

 いつか、本当の意味で、フィールドを自由に駆け回れるといいな。

 

 いつかは、リベロ。


クレへのアンサー 2009年10月17日 
箸本‘husky’竜也 

 今日(正確には昨日)、紅林先生に「ハスキーは勉強が好きだったの?」と聞かれた。

 その際、「うまく言えないので近いうちにレポート提出します」と答えた。

 この文章は、紅林先生の質問に対する公式の回答である。

 

 まず、単純な結論としては、僕は勉強を「好き」とか「嫌い」とか、考えたことがなかった。

 やればできることはわかっていたから(一般ピーポーの言葉で言えば、「信じていた」から)、やった。

 

 でも、なぜやれたのか。

 

 僕は根本的にそれほど素直な人間ではないし、「勉強しなさい」と言いまくる両親のもとで育ったわけでもない。

 計算を解いたり漢字を書いたりするのが好きだったわけではないし、「将来絶対にこれになりたい」と思ったこともない。

 勉強以外に好きなことがなかったわけでもない。小説も音楽も映画も勉強より好きだったし、テレビゲーム(この言い方古いね)だって相当好きだった。

 それに、学歴というものが自分の人生を導いてくれると思ったこともない。

 

 なら、なぜやれたのか。

 

 今なら答えられる。

 僕は、勉強が好きだったわけではなく、成長が好きだったのだ。

 

 新しい物事を知ること。

 できなかったものができるようになること。

 知識や経験値が上がること。

 僕はそれを、たとえばRPGのレベル上げのように捉えていたのだと思う。

 

 自分の成長を見るのが、好きだった。

 ただ、それはRPGのようにすぐに目に見える数値になって表れるとは限らない。

 だから、自己認知ということの大切さを覚えた。

 他人にもわかりやすい数字に出るのは、一部だ。

 そして、伸びているのに数字には表れない、という期間は、ムカつくほど長い。

 だから、テストの得点や模試の判定よりも、自分の感覚を信じた。

 自分を認めるのも、自分を勇気づけるのも、多くの場合、自分しかいなかった。

 僕は開拓塾に通ってなかったから。

 結果が出ないとき、「大丈夫、お前はできるようになってる」と言ってやる必要があった。自分に。

 できないとき、「焦るな、今できないだけだ」と言ってやる必要があった。自分に。

 本当のことは自分だけわかっていればいい、と思って生きていた。

 孤独に聞こえるかもしれないが、そこには何の悲しみもなかった。

 

 あの頃自分に言い聞かせた言葉を、今、生徒に言うことがある。

 職員に言うこともある。

 そして、相変わらず自分にも言っている。

 

 この仕事を始めてわかったことのひとつは、僕は、自分の成長だけではなく、他人の成長を見るのも好きだ、ということ。

 生徒も、後輩も、先輩も、同じだ。

 作家も、ミュージシャンも、役者も、映画監督も、同じだ。

 映画観てて、「こいつ、いい役者になったなあ」って、その目線は何なんだ。

 でも、それが僕である、ということ。

 

 紅林先生、こんなところでいいですかね。

 いい機会を、どうもありがとう。



カートの年齢 2009年09月09日 
箸本‘husky’竜也 

 初めてこういう断りを入れるが、今回という今回は超自分勝手な文章です。

 別にそういうのは今までもあったけど、今回はちょっとひどすぎる。

 ほとんどの生徒のみんな、ごめん。

 そしてやや古きロックンローラーの皆さん、楽しんで読んでください。

 

 二十七歳になってしまった。

 二十七歳というのは、ジミ・ヘンドリクス、ロバート・ジョンソン、ブライアン・ジョーンズ、ジム・モリスン、ジャニス・ジョプリン、そして、カート・コバーン(まあ正確にはコヴェインだが)の死んだ年齢、つまり、ロック・スターの年齢である。

 

 カートのニルヴァーナというのは僕にとって結構思い入れのあるバンドで、僕はカートのことを地球最後の正真正銘のロック・スターではないかと比較的マジに思っている。

 

 ニルヴァーナ以降、「グランジ」と呼ばれるロックの用語ができたが、ジャンルはどうあれ、例えば彼らの代表曲「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」は、ある意味で素晴らしいポップ・ソングだと僕は思う。

 僕は音楽を「ジャンル」で呼ぶことにほとんどこだわりはないのだけれど、ロックでありポップ、ということに別に矛盾は感じない、ビートルズだってそうだったんじゃないの。

 

 事実、ニルヴァーナは幾度となくビートルズと比較されてきたものだ。

 それはひとつには、この両者が、過剰なほどに「時代性」というものを痛切に背負ってしまった、ある種、運命的なバンドであったからではなかろうか。

 ただ、ビートルズとニルヴァーナの決定的な違いは、ジョン・レノンが背負ったのがラブ&ピースという時代の希望であったのに対して、カートが体現したのは時代の絶望だった、という点だ。

「ハロー・ハロー・ハロー・ハウ・ロウ(どれくらいひどい)?」というカートの呟きは、ポスト・モダンの90年代という時代が抱え込んだ、閉鎖的な暗黒そのものだったように思う。

 時代を背負えること。それがロック・スターの条件だ。しかし。

 

 誕生日にカートの「オール・アポロジーズ」を聴いた。

「ネヴァー・マインド」で一躍ロック・スターになってしまったカートが、原点であるアンダーグラウンドに帰るかのように作ったアルバム「イン・ユーテロ」にある原曲、のほうではなく、別のライブ盤に収められたアコースティック・バージョンを。

「オール・アポロジーズ」は、「最大限の謝罪」、とでも訳せばいいのかな。

「他にどんな人間になればいいっていうんだ/本当にごめんよ」という歌詞はいくらでも深読みすることができて、「俺はロック・スターなんかじゃない、ただのカートにしかなれないんだよ、悪かったな」と受け取ることもできる。

 

 カートは何に対して謝ろうとしたのだろう。

 リスナー、マスコミ、友人、バンド・メンバー、妻、娘、自分自身、その音楽、そして、時代。

 わからないが、思うのは、そういった何もかものなかで、ただの「カート」を本当に「許そうと」した人間が、果たしてどれほどいたのだろうか、ということ。

 

 このアコースティック・ライブでギターを抱えて歌うカートは全然ロック・スターなどではなく、ただの少年のようで、聴く度に胸が詰まる。

 

「カート、君はなぜ死んだのだ?」

 そんな問いを、数えきれない人々が立ててきた。

 僕はその答えを敢えて探さない。

 誰かが言うように、カートは結局ドラッグに逃げて自らの運命を食い散らかして負けて死んだだけだ、というのが仮に真実であるにせよ、僕はどうしてもカートを責める気になれない。

 僕は、ただ、音楽を聴くことしかできない。

 

 おそらくカートは、僕の想像をはるかに超えて、ロック・スターになんかなりたくなかったんだろうな。

 それを思うと、僕はときどき、ちょっと悲しくなる。

 

 カートは十五年前の四月、シアトルで自分の頭をショット・ガンで撃ち抜いた。

It's better to burn out than to fade away――「消えてゆくより燃え尽きるほうがいい」という、強烈な筆圧のメモを残して。

 

 カート、追いついてしまったよ。

 君はステレオの中で永遠に歳をとらず、ただただ、音楽だけが続いていくね。


ヴァイオレット 2009年08月22日 
箸本‘husky’竜也 

 あなたがこれを読む頃にはもう直接伝えてると思うけど、おめでとう。

 今日(もう昨日か)、直接言えなくてごめんね。

 

 あなたは、とても物静かで不思議な人。

 どんなテストでも頑張って、授業中もたくさん光って、信じられないくらい絵が上手で、あなたが塾に来たときに僕がしゃがみ込むと(あなたも背が伸びたから僕がしゃがむのもちょっと不自然なんだけど、中一の頃からの癖でついやっちゃう)必ず立ち止まってくれて、あんまり褒めるとちょっと赤くなって、ひゅーっとどこかへ行ってしまう。

 妖精みたいに見えるときがある。よくわからない表現だけど。

 

 俺さ、ときどき思うんだよ、あなたはもしかしたら、考えること、思うこと、感じること、そういう色々がたくさん心の中に詰まっていて、それが驚くほど深い色をしていて、でも、それにちゃんと似合う言葉が見つからなくて、もどかしく感じることがあるんじゃないかな、って。

 これ、外れてたらごめん。

 箸本のたわ言だと思って聞き流して。

 で、もしそうだったときのために一応言っておくとね、言葉がさ、魔法みたいに降ってくるときっていうのがあるの。

「ああ、この言葉が自分だな」って思えるほどの、言葉が。

 いつかあると思うな、あなたには。

 授業の中で、僕はあなたの言葉が輝いてるところを何度も見てきた。

 それはね、口には出さない言葉でもいいんだ。

 誰にも言わない言葉でもいいんだ。

 

 そして、あなたは、嘘がないなあ。

 語らないけれど、はっきり伝えてくれる。
 あなたが頷いたら、本当にイエスなんだろう。
 あなたが首を振ったら、本当にノーなんだろう。
 何というか、そのことに、ありがとうと言いたい。

「嬉しかった?」と聞いたときの「はい」というしっかりとした声の感じを、「悔しかった?」と聞いたときの迷いのない頷き方を、僕はよく覚えてる。

 あなたがごまかすように首をひねったのは、僕が「夏服似合うね」と言ったときくらいじゃないか。それはまあ、無理もない。

 

 何が言いたいのかよくわからなくなってきた。

 きっと、僕もまた、言葉を探しながら生きてるんだろう。

 

 とにかく、あなたの名前をタイトルにした文章が書きたかった。

 本当に、おめでとう。

 あなたが嬉しかったのが、嬉しかった。

 それ以上、大したことが言えない。

 でも、これ以上の言葉もたぶんない。

 

 おめでとう、すみれ。



ミンミンゼミは聞こえない 2009年08月17日 
箸本‘husky’竜也 

 お盆に群馬の実家に帰った。

 豊橋の夏と桐生(という町が僕の故郷)の夏、両者を決定的に分かつものは何か、と聞かれたら(誰もそんなこと聞かねえけどさ)、僕は「セミの声」と答えるだろう。

 

 豊橋の夏は、ミンミンゼミが聞こえない。

 まあ場所によってはいるのかもしれないし、ゼロじゃないんだろうが、僕は聞いたことがない。

「ミンミンゼミって何?」という人のために書いておくと、「ミーンミンミンミンミーン」って鳴くセミだ。何だこの解説。

 ミンミンゼミの分布は東日本が中心らしく、大学の四年を過ごした京都でも、声はまるで聞こえなかった。

 しかし、あくまで僕の町のセミのローテーションは、「ミンミンゼミ・さあ夏が来たぜ」→「夕暮れにヒグラシ・わけもなく悲しくなるわ」→「ツクツクホウシ・ああ夏も終わるのね」という感じだから、そして、僕の十九年分の夏の記憶は常にミンミンゼミの声と密接に結びついているから、京都で(あるいは豊橋で)クマゼミやアブラゼミに「シャーシャー」とか「ジジジジ」とか鳴かれても、「お前ら何かピンとこねえんだよ」と僕はいつも思ってきた。

 

 僕は心の底から夏が好きだが、ミンミンゼミの声が聞こえない通算八度目の夏を過ごす今でも、彼らの不在に慣れることができない。

 

「どうして豊橋を選んだのか」と聞かれることがある。

「別に豊橋を選んだわけじゃない」と僕は答える。

「簡単に帰れないから大変だね」と言われることがある。

「簡単に帰れたら意味がないんだ」と僕は思う。

 

 よく、わからないと思う。

 僕にもよくわからない。

 ただ、故郷を離れることの悪い点はほとんど無数に挙げられるが、良い点は数えるくらいしか思いつかない。

 それでも、人生が百回あったとして、僕は間違いなく、百回とも故郷を離れて暮らすだろう。

 そこに何があるのかは、書かない。

 

 半年ぶりに実家に帰り、父と母と弟に会い、ミンミンゼミの声を聞いて、「ああ、俺の夏がここにあるな」と思った。

 だが。

 

 家族麻雀の最中、母親が「中島みゆきの歌にもあったじゃない、年に二回、八月と一月に故郷に帰って、人はまた半年頑張れる、って」と言い、父親は「帰って来なけりゃ頑張れないようじゃダメなんだよ」と例によって悪態をついた。

 彼らは、二人とも正しいと僕は思う。

 それでも僕は父の言葉に、「そのとおりだ」と言ったのだった。

 

 なぜなら、僕にはもう、別の夏もあるからだ。

 それもまた、僕の夏だ。

 そういう生き方を選んだ。

 その夏には家族も友達もなく、ミンミンゼミも聞こえないけれど。


鳳来寺山アドベンチャー 2009年08月03日 
箸本‘husky’竜也 

「ハスキー、豊橋に住むことになったら、鳳来寺山に行くといい」という謎の言葉を残し、サワキは消えた。

 

 なんて、ちょっとミステリっぽい書き出しをしてみたが、後半は嘘で、サワキ(大学のときからの友人)はきっと元気にしている。前半は本当で、加えてサワキは「何かフクロウがいるらしいから」と、僕が京都を出る直前、そういう意味不明な情報をくれたのだった。

 

 明日(厳密には今日)は夏期講座がお休みなので、サワキの言葉を三年半ぶりに思い出した僕は調子に乗って、ついさっき、鳳来寺山にドライブに行ってきた。当然、一人で。

 そのドキドキがおさまらないうちに書く。

 

 鳳来寺山は新城にある山で、「仏法僧」の異名をとる「コノハズク」という謎めいたフクロウが住んでいる。

 僕「何で仏法僧なんですか?」

 望月先生「ああ、ブッポウソウ、って鳴くでね」

 と、よくわからないが、聞くからに謎めいた話で、そういうのが大好きな僕は、ウキウキしながら出かけていった。

 

 いやー凄いの。

 本当、何ていうか、山。

 夜の十一時過ぎで、当たり前に誰もいなくて、基本的に電灯もない。

 奥に進むにつれて霧が深くなって、ハイビームで照らしてもなかなか先が見えない。

 僕は霧が好きなので、ワクワクして「これはもう妖怪か何か出るかもしれないわね」と思いながらゆっくり車を走らせていると、ライトの照らす先に……

 

 ででででで出たー!

 

 ほうら出た。

 イノシシ。っていうかその子ども!

 犬くらいの大きさしかないのが二匹、よたよた歩いてる。

 可愛い。こんなのなら車で連れて帰れる(もちろん本気で連れて帰る気はない)。

 日常で出会わない動物に弱い僕は、それを見た瞬間に完全に理性が消し飛んでしまい、

「イノシシの子どもイノシシの子どもイノシシの子どもチョコレートあげるからチョコレートちょっとこっち来てー」とそれで頭がいっぱいになり、自分でも信じられないような速さで助手席にあったチョコレート(行きのコンビニでなぜか買っていた。さすが俺)をつかむと、映画スターのような流れるアクションでサイドブレーキを踏みつけギアをパーキングに入れて車を飛び出し、そいつらを追いかけてすぐ後ろに追いつき、抱き上げてみようとした瞬間……

 

 ででででで出たー!

 

 ほうら出た。

 ほうら出ちゃった。

 イノシシの親が。

 でけえ。こええ。これは車じゃ連れて帰れない。

 しかも、よくわかんないがきっと怒ってる。だって超にらんでるもん。

 そりゃそうだろう、変な男が息子(ないし娘)を追い回してるんだから。

 チョコレートをあげても許してくれそうにない。

 何とか車まで戻らなければ。

 イノシシの生態についてはよく知らないが、「猪突猛進」という四字熟語があるくらいだから、きっとまっすぐにしか突っ込めないんだ、だから背を向けずに、もし突進されたら闘牛士のようにひらりと横にかわせばいいんだ……とそんなことを一瞬のうちに考えた。さすが国語講師。でも、そううまくいくのか?

 とりあえず僕は「ウォウ・ウォウ・ウォウ・ウォウ・ウォウ……」とサミュエル・L・ジャクソンという俳優のモノマネ(紅林先生にしか伝わらない)をしながらソロリソロリと後ずさりをし、「言葉にならない声でも本能で伝わるはずだ」という塾長の教え(ただし塾長はイノシシに適用できるとは言っていない)を思い出して、「大丈夫だ、あなたの子どもに危害を加える気はない」と心を込めて伝えた。

 それがよかったのかどうか知らないが、僕は何とか無事に車に戻り、彼らはガードレールの向こうに消えた。

 やれやれ。

 

 しばらく走ったところで車をとめて、エンジンを切ると、本物の闇が広がった。

 虫の声だけが静かに鳴り、満月に近い月を囲んだ雲が黄金に染まって、綺麗だった。

 雲が月を横切るたびに、辺りの闇は微妙に濃度を変え、僕はほとんど畏怖に近い気持ちを抱きながら、車に寄りかかって煙草を吸った。

 日本人は昔からあらゆる場所に神を見出したが、こんなふうに暮らしていれば、「山の神」みたいな発想にならないほうがおかしい、と僕は思った。

 月明かりがわずかに照らす山道の向こう、霧が束になるようにして立ち上っている辺りに向かって、僕は、「大変じゃないと言えば嘘になるが、そんなことは僕にとって何の問題でもないです」とよくわからない報告をして、帰った。

 

 あー面白かった。

 サワキありがとう。フクロウには会えなかったけど、楽しかった。

 

 くだらない夏の思い出ができました。

 別にいいだろ、くだらなくない思い出ができることは、僕らの教室で確定してるんだから。



シャイニー・デイ 2009年07月23日 
箸本‘husky’竜也 

 ちょっと前の金曜の夜、建部先生と久しぶりにお酒を飲みに行った。

 途中から塾長、そして帰り際には望月先生も来てくださり、楽しい夜(というか朝)だった。

 

 建部先生は僕が入社したときからもう「すごいベッカム」で、三年半がたった今も、「近づけた」みたいな実感はあまりないのだけれど、それでも、共有できるものがたくさんできたな、と思った。

 一緒に校舎に入らないこともあって、あらたまって話す機会もそうないが、たかが一分の電話が、極めて多くを物語ることもある。

 ここまで来いよ、と僕は思った。

 誰に、なのかは書かない。

「俺にだ」「私にだ」と思ってほしい、勝手に。

 急がなくていいから、いつか必ず、ここまで来てくれ。

 

 ふらりと現れた塾長は手羽先を食べながら相変わらず超能力みたいなことをやり(詳細は書かないが本当にすごい)、僕はそれを恐れ多く聞きつつも、アルコールのせいもあったのか、この三年半が頭の中をぐるぐると回り、自分の歩んできた遥かな(くらい言っていいと思う)道のりを想った。

 思えばそのほとんど全てを、塾長は、「箸本は放っておきゃいいんだ」という目で見てきてくれた。

 その決断が、「放っておかない」よりどれほど勇気の要ることか、僕はわかると思う。

「放っておく」しかなかったわけじゃない。

「放っておく」を選んでくれたのだ。

「放っておけ」と突き放してきたわけじゃない。

「放っておけ」と、見守ってきてくれたのだった。

 

 そうして、二年目、豊川本校を校長気取りで走っていた僕を、ある意味で「好き放題」やらせてくれたのは、望月先生だった。

 校長になった今だから、僕の見えないところで、望月先生がどれほど引き受け、どれほど目をつむっていてくれていたかがわかる。

 あの二年目がなかったら、三年目、豊川で校長になっていなかったと思う。

 

 建部先生と望月先生と一緒にいると、一年目に二川校に三人で入っていた頃に戻ったみたいだった。

 まだ新卒中の新卒だった春の頃、「講師シフトの関係で二川校を外れてくれないか」という塾長の打診に「嫌です」と言った自分と、それを「あそーう」と受け入れてくれた塾長のことを思い出した。

 何でそんなことが言えちゃうかなあ、社長に。

 二十三の頃の俺よ、お前はアホか。

 でもあのとき「嫌です」と言っていなかったら、今、二川の校長やってないかもしれないな、ことによるとね。

 

 四時に店が閉まり、ビールとウィスキーでほどよく酔った僕は、部屋まで歩いて(十分くらいだ)帰った。

 

 何ていうか、アスファルトの香りがもう、夏、って感じで。

 

 帰り道、携帯電話を見ると、実家の母親からメールが届いていた。

 僕が小学校を卒業するときに記念樹として植えたザクロの木が、今年、初めてひとつだけ花をつけたのだと、写真が添付されていた。

 忘れてた。ザクロのことなんかは。

 だからそれについて何を思えばいいのかもよくわからず、「最後に歩いて部屋に帰ったのがいつだったかも思い出せねえなあ」とそれだけを馬鹿みたいに考えて、歌を歌いながら、僕は部屋に戻った。

 

「全てが輝いてるこんな日には争いも黙るだろう…」

 

 十五年かけてひとつだけ咲く花もある。

 八年かけて実ろうとしている人もいる。

 まずは半年もちこたえたつぼみもある。

 三年半で辿り着いた場所がある。

 八ヵ月後に描く風景がある。

 その最初のひと筆が、もう、そこにある。

 

 そういう何もかもが美しく輝いて、シャイニー・デイ。


がんばって、とあなたは 2009年07月09日 
箸本‘husky’竜也 

 七月七日、豊川本校で中三夏期講座に向けてのオリエンテーションをやった。

 この夏で、強くなってほしい。

 この夏を、合格への大きな一歩にしてほしい。

 そんな願いを込めて、伝えた。

 そして、校舎の玄関を出てゆく一人一人に、口には出さずに「がんばってな」と投げかけた。

 

「がんばる」というのはそんなにいい言葉じゃない。

 ありふれているし、ありふれたぶんだけ軽いし、本当にがんばっている誰かを言い表すのに、「がんばってる」という言葉はいつも足りない。

 それはいわば、消去法の言葉だ。

 僕の言語能力の乏しさゆえに、ある場合において、「がんばる」以外に言葉が見つからないのだ。

 

 そんなことをちょっと思いつつ、中三のみんなに挨拶をしていると、スーパークールな一人のギタリストが、帰り際、僕に右手を挙げて「がんばって」と言った。

 ありがとう、と僕は答えた。

 そして、ガキみたいな表現になるが、がんばろう、と思った。

 

 思うのは、自分が十四、十五の頃に、二十六の男を本当に勇気づけるような言葉を言えたか、ということ。

 無理だったろうな。

 僕はそういう生き方はしていなかった。

 本当の意味で誰かを応援できる可能性があるような生き方は。

 

 あなたが心の底から言ってくれたのがわかった。

 そうでなかったら、あなたはそんな言葉を吐かない。

 僕と同様、あなたも本当は、黙っているほうが性に合っている。

 違うのは、あなたは黙っている間もギターで語れる、というところかな。

 そのあなたが、だ。

 十五歳の少年の、精一杯のエール。

 

 一時期、「がんばらない」みたいなのが世の中で流行ってたけど(今も流行ってるのか知らない。僕は基本的に世の中のことは知らない)、僕はそれがすごく嫌だった。

 先に言っておくが、別にそういう主張をする人々を否定するわけではない。僕は、生き方に抵触するような部分での「認める」「認めない」という判断を、自分自身以外に対してしないように努力してる、一応。「がんばらなくていいよ」というのがいい助言になる場合もあると思う、実際問題。

 ただ、僕はそういう生き方はしない、ということ。

 がんばらなきゃ駄目だ、俺は。

 そうじゃなかったら、俺は俺の魂の価値を稼げない。

 

 だから、当たり前の事実を言えば、誰に「がんばって」と言われようと言われまいと、僕はがんばる。

 それでも、だ。

 十五歳が二十六歳にする応援は、それでも、という位置だ。

 二十六歳が十五歳に勇気づけられるのは、それでも、という位置だ。

 そんなことは別にわかってて、それでも、単純に、あなたは僕を「応援してあげたかった」んだと思う。

 

 その位置。

 十五歳のあなたが立っているその位置に、僕もいなくちゃいけないと思った。常に。

 

 帰り道、無駄に遠回りをして車をゆっくり走らせながら、部屋に戻るまで、一人でも多くの仲間を応援しようと努めた。

 それは生徒であり、同師であり。

 今さら何やってんだこの偽善者が、と自分を罵倒したが、まあしょうがない。

 せめてものアレだが、僕はこの気持ちを切らない、と誓った。

 

 望月先生、シフト、がんばってください。三年間言い続けてますが、身体に気をつけて。

 広田先生、広告、がんばってください。

 建部先生、チーム・ベッカム、がんばってください。

 岡崎先生、豊田、がんばってください。飲みに行く機会もないですが。

 杉林先生、高等部、がんばってください。みんな信じてます。

 紅林先生、東校、がんばってください。僕も負けないけども。

 中尾先生、小澤先生、加藤先生、三輪先生、南校、がんばってね。僕がうらやましくなるくらい素晴らしいチームを作ってください。

 矢崎先生、がんばってね。この一年で、きっとあなたは先の先へ行く。

 一年目のみんな、がんばってね。僕の本当に大事なものは、一年目に全部あった気がするよ。

 塾長、がんばってください。

 僕は貢献者でありたいし、応援者でありたい。

 みんな、がんばってほしい。

 もうちょっと正確に言えば、共にがんばりたい。

 

 何ができるか、ということと、

 何もできないときにどうあれるか、ということと。

 

 たっちゃん、ありがとうね。

 大切なことを思い出した。

 僕に大切なことを思い出せてくれるのは、塾長をはじめとした同師であり、遠い家族であり、古い友人であり、もう会えない人々であり、そして、生徒であり……そういう感謝も、自分のふがいない消去法も、今さらの偽善も全部引き受けて、僕はさらに先へと流れていく。



ファーザー 2009年06月19日 
箸本‘husky’竜也 

 ちょっと前のことだが、ほぼ二年ぶりに、福岡に住む山口章という友人から携帯電話に着信があった。

 彼は、僕が唯一公式に認める、同じ町に生まれた友人である。

 前回彼が連絡してきたときは結婚の知らせだったので、今度は出産かと一瞬思ったが、まさかいくら山口でもそこまでベタじゃないだろうと思って電話をかけたら、結局出産だった。

 そのへんが、山口だなあ。

 

「もしもし。何だ、久しぶりに」

「ああ、実はさ、子供が生まれてさ」

「ああ、本当に。そうかー。おめでとう」

 なんて、阿呆なリアクションしかできない私。

「男の子?女の子?」

「男。しかも名前がさ、竜なんだよね、箸本と同じ漢字の」

 思えば、僕を「ハスキー」と呼ばない友人も、もうこいつだけになったんだなあ。

「箸本」と呼ばれるのが懐かしかった。

 まあついでに言うと、山口の「しかも」という日本語の使い方は間違ってる気がするが、そんなのはいつものことなので、僕はスルーした。

「ああ、そーう。それは、感じるね、こう、親しみをね」

「そうだろうー」

 僕たちは、七年前にはしばしばそうしていたように、ふざけて芝居がかった調子でしゃべり合った。

「そうか、山口が父親か。何てことだ」

「本当にな」

「ああ。マジでな」

「マジだよ」

「まあ、アレだな、そうやってお前は、ますます自分の人生を後戻りできない地点に追い込んでいくわけだな」

 と表面的には皮肉にしか見えない台詞を僕が言って、二人で大笑いした。

 山口としては「箸本変わってねえなー」という笑いであり、

 僕としては「今のが俺の喜びと祝福の表現だってわかるお前はすげえなー」という笑いだった。

「いや、マジな話、本当におめでとう。奥さんにもよろしく。俺、奥さんよく知らねえけど。ていうか、よく知らねえとかそういう次元の話じゃないんだけど」

「確かに、そういう次元じゃないね」

 僕は山口の結婚している相手に会ったこともなく、そもそも、名前すら知らない。

 僕たちはまたいつかな、みたいな話をして、互いに電話を置いた。

 

 山口が、父親かあ。

 冗談じゃねえや、本当に。

 結婚、出産、はは。お前の人生は動いてるなあ。

 でもな、山口、俺もたぶん、同じ。

 俺の人生も動いてる。

 ただ、表面に見えるものが違うだけだ。

 

 うまく言えないが、山口、お前の人生を俺は受け入れてる。

 

 僕は鷹丘校に向かう車の中でキャメルに火をつけて、思った。

 山口、お前はまだマルボロを吸ってんのか?

 それとも、煙草自体やめちまったのかな?

 

 どっちでもいいよ。

 俺は、どっちでも構わない。


サヨナラ・ホーク(仮) 2009年05月19日 
箸本‘husky’竜也 

 以前ここに書いたことがあるが、僕の部屋の近くのコンビニに、「ホーク(仮)」という店員がいた。

 ホークという仮名に特に意味はなく、雰囲気である。

 

 ホーク(仮)はなかなか異色の店員で、やけに客に話しかける男だった。

 よくしゃべるタクシー運転手や服屋の店員には「うるせーなー、ほっといてくれ!」と思春期の少年のように感じてしまう僕としては珍しく、ホーク(仮)に声をかけられるのは全然悪い感じがしなかった。

 彼は咳をしながらのど飴を買った僕に「お大事に」と言い、

 毎度夜中に訪れる僕に「いつも遅くて大変ですね」と笑い、

 彼がマスクをしているときに僕が「お大事に」と言うと鷹のように微笑んだ。

 ホーク(仮)とは、そんな男だった。

 

 三月頃から、しばらく、ホーク(仮)をそのコンビニで見ないような気がしていた。

 うすうす気づいていたが、その事実をあまり見ないように努めていた。

 ただ、いつまでテキトーにごまかしていてもアレなので、僕はこの一ヶ月、かなり頻繁にそのコンビニに通った。

 毎回、ボトルの烏龍茶を一本だけは必ず買って帰った。

 何かのまじないみたいに。

 しかし結局、ホーク(仮)は一度も姿を見せなかった。

 

 まあ、仕方ないかな。認めるしかないかな。

 ホーク(仮)はもういない。

 

 誰かが不意に自分の人生から消えるなんてことは、当たり前と言えば当たり前の話で、だいたいにおいて、僕たちはそんなふうにして生きている。

 

 ただ僕はそれを、ホーク(仮)に対して、要するに、忘れてた。

 そのことについて、ホーク(仮)さん、僕は何となく、あなたに謝りたい。

 

「今日が最後かもしれない」って、それがどこかにないと、僕は、駄目だな。

 どんな人間との関係においても。

 それが消えてしまったら、僕は半分くらいの存在になってしまうと思う。

 いつ消えるともしれないはかなさが、僕にとってはいつも強さと裏返しだから。

   
  数ヶ月前のことだ。
 徹夜明けで朝七時くらいにコンビニを訪れた僕に、ホーク(仮)は言った。
「今日は完全に朝になっちゃいましたね」
 僕はちょっと笑って、「ほんとですね」とか答えたと思う。
「おやすみなさい」
「どうも」
 それが、僕の最後の言葉だった。
「どうも」。

 サヨナラ、ホーク(仮)。

 僕は正直、あなたのコンビニが結構好きでした。


ジュンキ君のこと 2009年05月19日 
箸本‘husky’竜也 

 ジュンキ君というのは、現在二歳と九ヶ月くらいの、望月先生のお子さんである。

 

 去年の十一月だったかな、ちょっとした事情から、一時間ほどだけ、ジュンキ君と二人で過ごす機会があった。

 その頃ジュンキ君は二歳と三ヶ月で、僕にとってはそれが人生初の子守(まあ三歳下の弟とかは除くよ)だった、と思う。

 

 別に何をしたというわけでもなく、ふらりとどこかに行っちゃいそうになる彼についていったり、ときどき抱き上げて連れ戻したり、気難しい表情で一生懸命に話をしてくれるのを聞いたり(そして半分くらいしかリスニングできなかったり)しただけだ。

 ジュンキ君は不意に「春になったら?」と僕に禅問答のようなミステリアスな質問をし、僕が苦しみながら「花が咲くかねー」とか答える頃にはもうパタタタタと逃げていってしまい、僕が追いつくと「あとどれくらいでパパ戻ってくるの」と聞くので、僕は時計の長い針があそこまで動いたらね、みたいな説明を一生懸命したんだけど全く納得してもらえず、俺は時間という概念を伝えることができないのか、と自分の塾講師としての資質に絶望した。嘘だけど。

 

 ところが、なぜかジュンキ君は僕のことをよく覚えてくれて(望月先生が「箸本君だよ」と紹介してくれた)、それ以来、一時期は週に一度くらいのペースで「箸本君に会いたいなー」と呟いていたらしい。家に帰った望月先生が「今日は箸本君とご飯食べてきたよ」と言うと、「ジュンキ君も箸本君とご飯食べたかったなー」と言うらしい。開拓塾の講師がたくさん載った広告の中から僕を見つけて、「あ、箸本君」と言ったらしい。

うわー可愛すぎる。超可愛い。

 

 僕は特に「子どもが好き」みたいなアレでは全然ないのだが、ジュンキ君を見ていると、正直、ちょっと子どもが欲しくなった。

 そういえば、つい先日の二川校の補習で、中三生に「ていうか早く子ども作って」と急かされた。

 何て要求しやがる。

 

 子どもなあ……。

 

 まあ、いいかな。

 いいや。やっぱりいいや俺。

 何かよくわかんないまま、特に語ることもなく、この文章はフェード・アウトするけど、俺ね、けっこう悪くない。

 俺の、今の、何ていうの、感じは。

 

 それはそれとして、また会おうね、ジュンキ君。



吠えよドラゴン 2009年04月21日 
箸本‘husky’竜也 

 やっちまった。すげーことを。

 サワキ、僕の両親、それから麻雀がわかる一部のみなさん、見ていますか。

 誰一人見ていなくても私は言います。

 塾長、望月先生、小宮先生としのぎを削った日曜の麻雀で、私は、

 

 緑一色四暗刻をあがりました。

 

 もう一回言わせてください。

 

 緑一色四暗刻。

 

 読み方がわからないみなさんのために書いておくと、

 

 リューイーソースーアンコウです。

 

 もう一回言いましょうか?言わなくてもいいですか?でも私は言います。

 

 リューイーソースーアンコウです。

 

 いやーこれを読んでるほとんどの少年少女たちには伝わらないだろうけどさー、これは本当にとんでもないことなのよ。

 ゴルフのホールインワンより確率低いんじゃないかな?どうですかね塾長。

 とにかく、一生麻雀をやってても、こんな役をあがれる人間はまずいないだろう、というような、奇跡的な役。

 

 僕が緑一色四暗刻を完成させたとき、最後にツモった牌は「發」という牌なんだけど、この牌は英語では「グリーン・ドラゴン」と呼ばれる。

 盲牌(親指で牌の表面に触れることで何の牌かわかる)した瞬間、もう、僕には見えたね。緑色の龍が高く吠え、天空へと駆け上っていく姿が。嘘だけど。

 

 いやー、もう一生ないだろうな。

 

 でも何がいいってねー、ゲームの中での敵があがってるのに、「おめでとう」と即座に握手を求めてくれる塾長と望月先生と小宮先生。

 

 麻雀のときって、年齢も役職もなく、ほとんど剥き出しの人間としてやり合ってる感じがする。

 それもひとつ、面白いところかな。

 塾長、望月先生、小宮先生、それから広田先生も紅林先生も三輪先生も、またやりましょう。

 

 俺、まだまだ強くなっちゃうなー。

 別に麻雀だけのことじゃなくて、それは何か、確信、って感じで。

 吠えよドラゴン。
 吠えよ竜也。



サワキとホテイ 2009年04月16日 
箸本‘husky’竜也 

 三月の末日に、ホテイとサワキという大学時代の友達に名古屋の居酒屋で再会した。

 

 ホテイがホテイと呼ばれているのは、七福神の布袋様に雰囲気が似ているから、ではなく、ミュージシャンの布袋寅泰に外見が似ていると第一印象で判断されたためである(実際は全然似ていない)。

 サワキがサワキと呼ばれているのは、単に名字がサワキだからである。

 ホテイは現在、保険金の支払いが妥当かどうかを調査するという、僕からすると軽いミステリ小説の主人公のようなことをやっていて、サワキはサワキで、とある死亡事故の事件性を判断するという、これまたミステリ小説の主人公のようなことをやっている。それは彼の本職とは関係ないんだけど。

 

 で、二人ともここに載っている僕の文章を読んでいる。

 という、僕としてはまあまあ衝撃的な事実を、イワシのフライを食べるホテイに打ち明けられた。

 参ったなあ。今まで、そういうのがないっていう前提で色々書いてきたんだけど。

 オオサキさんもこれ読んでんの?すると当然、ニシサカさんも?マジか。

 どこから情報が漏れたんだ。ていうか漏れる余地がないんだけど。確か、大学のときの友達には「塾」としか言ってないし。ってことは誰かが調べたんだ。そういうことやるのはどうせパタだろ。まったく何て世の中だ。別に隠してないけどさ。パタ、違ったらごめん。

 あのイワシ美味しかったなあ。関係ねえけど。

 

 でも、本当に嬉しかったなあ。

「あれ読んでると、本当にハスキーの生徒になってみたくなる」って。

 あのときはうまく言えなくて、ヘラヘラ笑ってたけど、ホテイ、サワキ、ありがとう。

 仕事について、生徒でも同僚でもない誰かから言ってもらえる褒め言葉として、あれ以上のものは、あまりない気がする。

 

 三人ともそれぞれ、結構忙しいね。

 それでも余裕しゃくしゃくの雰囲気のホテイが、さすがホテイ、っていう感じ。

 ホテイはいつもね、踊ってる感じ。

 絶対に踊らされずに、踊ってる感じ。伝わるかな?

 例によってサワキのギリギリ具合はヤバいけど、無理するな、ってあんまり言えない。

 サワキの負は、サワキが素晴らしい人間である根拠と、あまりにも完全に裏表だから。

 サワキが苦しむ要因と、僕がサワキに魅かれる要因、その根本は同じだ。

 それに、何とかするでしょ、最終的には。

 だってサワキだもの。

 何だかんだ言いつつも、どっかで信じてるとこない?

 俺は、俺であるから、最終的には何とかできるんだと。

 それは、僕らの非常に似てるところなんじゃないか。

 たぶん、僕たち三人とも。

 

 何ていうか、俺ら三人ともさ、走ってるよね。

 それを感じることができたのが、とても嬉しかった。

 僕たちは十九歳で出会って、生ぬるいけど異様に輝いていた四年間を共に過ごした。

 素晴らしい時代だった。それはもう、キラッキラの。

 ヨシキや、パタや、ルパンや、シノハラや……他のどの時期でも他のどの場所でも他の誰とでも無理だった、あのとき、あの場所に僕たちがいたからこそ、って感じの。そういう時代だった。

 で、ひとつの時代が終わって、僕たちはそれぞれに、何かを慎重に決めたり、ノリで選んだり、慎重に決めるフリをして実はノリで選んだり、捨てたり、失ったり、失ったということを忘れたフリをしてみたり、そんな感じで、テキトーに色々やった、と見せかけて、実は全然テキトーじゃなくてこれ以上ないくらマジだったり、とにかく、そう、色々やった。よくわかんねえけど。

 ことによると、その中には致命的な間違いもあったのかもしれない。

 その是非を僕は敢えて問わない。

 イーストウッドが映画の中で何度も描いているように、本当に大切なことというのは、正しいとか間違っているということではないだろうから。

 ただ、いまだに、サワキはサワキのまま、ホテイはホテイのまま、僕は僕のまま、自らの記憶と知性と感性と体力と意志力と行動力と適応力、そういったものをひっくるめて、自身の才能と運を信じて、とにかく、走ってる。

 

 勝負を、投げなかったよね。

 サワキにわかりやすいように麻雀でたとえると、結果的に間違った牌を切ったり、高すぎる手に振り込んだり、暗刻落としで回し打ったりしつつも、僕たちは結局、勝負を下りなかった。

 

 だからこそ、僕らが共有しているのは、二度と戻れない四年間だけではなくて、遠く離れて共に走っているという現在だ。

 そんな友達がいることを幸運に思う。

 サワキやホテイのような友人はもう、生涯現れないだろう。

 

 誰も彼もが通り過ぎていく。

 そんなことは十五の頃からわかってる。

 

 でも、サワキとホテイは、残ったね。

 そのことについて、僕はお礼を言いたい。

 ありがとう。

 

 また会いましょう。

 そうして、笑い飛ばしてみせよう。

 余裕やギリギリや金や時間や博打や保険や高尚や俗悪や車やネクタイや深刻や猥雑やパソコンや留守電や神や仏やイワシやカツオや過去や未来や、全て。



アフター・フェスタ、イン・ザ・パーク Ⅱ 2009年04月06日 
箸本‘husky’竜也 

 卒業ライブの後、わずかな荷物を車に積み込んで、京都へ。

 ライブでかぶっていた帽子を手に部屋のドアをロックしたとき、何か、「旅に出る」っていう感じがした。

 車の中ではこの日のために編集した五枚組みのMDが流れていて、その一枚目の一曲目は、ビートルズの「レット・イット・ビー」だった。

「あるがままに……」

 別に京都じゃなくても。別に今日じゃなくても。

 そうなんだけど、これが僕のあるがままなんだな、と思った。

「これもハスキーにとっては大切な……」とちゃんとわかってくれている紅林先生が嬉しかった。

 さすが、この世で一番か二番に僕の文章を読んでくれているだけある。

 

 夜明け方に大津のサービス・エリアで眠って、松岡先生からのサプライズ電話で目覚め、四年を過ごしたアパートの近くにある公園を訪れた。

 ベンチに座って煙草に火をつけた瞬間、綺麗なデジャヴがあったが、実際それはデジャヴでも何でもなく、一年前も同じことをしたからに過ぎなかった。

 

 真夜中の高速道路の上から繰り返し頭の中を巡っていたのは、卒業ライブの一日、熱に浮かされるような中で過ぎていった、ギリギリのところで現実に引っかかっているような強烈な一日のこと。

 

 

 リハーサルで声が出なくて、胃がキリキリキリキリと痛む中、僕は鏡の前に立って、夏目先生と清田はるかしか知らない(二人とも人に言わないでね)「本番前の儀式」をやった。

 控え室に満ちていた煙草の匂い。

 口の中に残っていたのど飴の香り。

 

 受け付けで次々に卒業生たちを迎えたこと。
 必ずみんなを笑って見送るんだと……その約束を、果たせたと思う。

 アユミ、いつもの笑顔でいてくれて、本当にありがとう。
 

 驚くほどの参加率だった豊川本校の現塾生たち。

 特にトモヤとシュンヤとケントが来てくれたのにはびっくりした。

「おお、私の可愛い息子たちよ」と近づく僕に、「せんせー」と駆け寄ってきた、というのは嘘で、笑顔で後ずさりしながら逃げていった少年たち。そのへんが豊川らしくていいなあ。

 

 だいぶメイクも上達した感のある、一年前の卒業生たち。

 リエもアイリもアツコもユミコもサエリも……書ききれないけど、みんなありがとう。

 

ステージを照らしたスポットライトの眩しさ。

 バリカンの圧倒的な演奏。

「おいおい、この後で歌うのかよ」という嫌なプレッシャーも消し飛ぶくらい凄かった。

 

 客席にかぶりものを投げた中尾先生の爽やかな残像。

 その中尾先生に踏みつけられていた三輪先生の全然爽やかじゃない残像。

 

 Smoke‐Eのクールなダンス。

「卒業おめでとう!」というモリオのシャウト。

 

「一緒に行こうぜ。『夜の街へ』」

 我ながらカッコつけすぎだな、と笑ったこと。

 ステージから眺めるペンライトの群れは、魔法のかかった夜の海みたいだった。

 

 松岡先生と小田先生のパワフルなコーラス。

 および、「死んでなんかないっ」の松岡先生独特の振り付け。

 

 合唱後の最初のステージ、いきなり空気を作ってしまう相変わらずの広田先生。

My song」、小宮先生のしびれるギター・ソロ。

 緊張をまるで感じさせない、板倉先生の伸びやかな声。

We are crazy」のラスト、一瞬目が合ってうなずいたベッカムのカッコよすぎる笑顔。

 遊び心に溢れた、塾長の優しいMC

 

 そんなふうに、思い出して、思い出して、思い出した。

 

 三本木ガールズ、色紙と、歌、ありがとう。

 あの歌は、この何年かで一番驚いたプレゼントだった。

It’s something unpredictable

But in the end is right

 I hope you had the time of your life

 僕が泣く可能性は95%だったらしいけど、それはある意味正解で、あのとき僕は、95%は泣いていた。残りの5%で泣かなかったのは、ただ、笑顔で見送りたくて。

 

 ミスズ、あなたが色紙に書いてくれた僕の文章の件だけど、そのとおりだと思う。

 僕は自分ではわかってたんだけど、色紙を読んでて、一瞬、鳥肌が立った。

 入試の国語とは何の関係もなく、あなたには素晴らしい言葉の才能があると思う。

 

 マリエさん、講座でしか教えたことないけど(まあ特別補習を一回やったか)、ありがとう。

あのね、「Broken Youth」が終わったとき、「チキショー声出なかったぜ」とちょっと悔しかったところにあなたの声が届いて、泣きそうだった。

「最高」なのは僕ではなくて、あなたであり、あなたたちです。

ベタベタの喉からカラカラの声で、マイクを通さずの「ありがとう」だったけど、届いたかな。

 

 アヤノ(マツダのお嬢さん)、可愛い手紙ありがとう。

 とても自然で、真っすぐで、あなたらしい手紙だった。

 最前列ではしゃぐあなたの姿はステージからもよく見えて、楽しかったよ。

 

 アヤノ(イシカワのお姉さん)、手紙を読みながら、最後の通常のときのことを思い出した。

あなたは本当に本当に開拓塾が好きだったんだなあ。

三年間、ありがとう。

 

本部に戻って読んだ卒業作文のこと。

みんなの優しさに、温かさに、美しさに、胸が熱くなった。

 この子たちが開拓塾の生徒でいてくれて、よかったと。

 

 ヒロノ、申し訳ないけど、びっくりしたわ。

 国語があんなに苦手だった(一番補習やったなあ)あなたの、素晴らしい作文。

 とても澄みきっていて、あなたそのものみたいな文章だった。


 出会って、見送って、僕はそれで、悲しくはない。
 たとえいつか遠いところで、あなたが僕たちを忘れても。
 それでも、「忘れない」と書いてくれた、あなたや、あなたや、あなた。
 

 塾長、言い出すとキリがないので「全てに」みたいな曖昧な言い方になっちゃうんですが、ありがとうございました。

 僕の人生に贈られた最高のギフトのひとつが、開拓塾です。

 

 ステージでキスを投げた(やりすぎたなー)ときの二川校ガールズの歓声。

Broken Youth」が終わって控え室に戻ったとき、紅林先生と交わした握手の感覚。

 アンコールの後、見えなくなるまで手を振って。

 
「ナナ、ナナ、忘れないさ……」

 

 僕がこの目で、この耳で、この心臓でとらえたことの全てを、できる限り刻みつけたかった。

 そういうふうにして生きてきたんだもの。

 魂に、刻まれるように。

 

 どんなに詳細な文章をもってしても、どんなに画質のいいカメラをもってしても、あの一日には届かず、それでも、魂に刻まれた記憶は永遠だ。

 本当だよ。

 そうできるように、僕が生きてゆくから。

 

 

 京都。

 

 何もかもがひとつの終わりを慈しみ、既に始まっている次の季節をいっとき忘れることを許しているかのような、静かな三月の土曜日、時が止まったみたいなそのベンチの上で、僕は深く煙を吸い込んでわずかの間息を止め、この街が、この空が、永遠を刻む背景だと思った。

 

そこには一小節のメロディも流れず、それでいて、決して鳴り止むことのない無限の音楽があった。



タイム・オブ・ユア・ライフ 2009年03月25日 
箸本‘husky’竜也 

 グリーン・デイの「グッド・リダンス(タイム・オブ・ユア・ライフ)」から。

It's something unpredictable

 But in the end is right

「それは予想のつかないものだけれど、最後には正しいんだ」

 

 自分の前に大きく二つの選択肢があるとき。

 たとえば電車と車で迷って、電車を選んだら発車が遅れて待ち合わせに間に合わなかったとする。

 それは、ひとつの悪い結果。

 でも、車を選んだら死んでいたかもしれない。

 そんなことの繰り返し。

 別の道を選んだらどうなっていたか、それは、わからない。

 

 だから起こったほうを正解とするしかないんだ、と割り切れるほど僕は楽観的じゃない。

 それでも、最後には、歩んできた道を、微笑みに変えられるように。

 そのことを考え続けて、僕はこの三年間、生きてきたような気がする。

 

 間違って、損なって、失って、帰れなくて、変えられなくて、それでも、ここにいられる現在は正解だ。

 

 それはおそらく、二十二の男がここに来ることを決めた瞬間に運命づけられたものではなく、僕が積み上げて、育ててきた正解なのだと思う。

 

 消えてしまった人々を憎まなくて済むような日々を送ってこられてよかった。

 心からそう思う。

 そのことは僕の誇りであり、僕の希望であり、僕の命であり……。

 

It's something unpredictable

 But in the end is right…

 

「おめでとう」

「ありがとう」

「ごめんね」

 

 そのどれもが本当であり、

 その全てを忘れるべきではなく、

 それでも、あなたたちを笑って見送る。

 必ず。

 

I hope you had the time of your life

「君が大いに楽しんでくれたならいいな」

 

 最後にはきっと、何もかもが美しい。

 できすぎた映画のラスト・シーンみたいに。
 最後には、何もかもが。



アフター・入試、イン・本部 2009年03月14日 
箸本‘husky’竜也 

 さっき三本木校の授業が終わって、松本先生と中尾先生に思わず言ってしまった。

「明日って、何もないよね?」

 二人とも、「そう言われてみれば」みたいな顔で「はい」って言ってた。

 休みがどうこうというよりは、本当に、ひとつの区切りがついたんだな、と。

 

 アミ、余裕だったろ、色んな意味で。

 本番も、ゆったりと受けてたんだろうなあ。

 もちろんその余裕は、根拠のないものじゃなく、あなたが走り続けた果てにつかんだものだ。

 最後まで、よく取ったね。

 

 ワタル、最後、決めたね。

 この冬、僕は色々と感動した、あなたについて。

 伝えたとおり、「勝因」のことも、電話で話したときも、A日程当日も。

 あなたの心にあるものや、あなたの強さが、ちょっと見えて。

 僕は当然の結果だったと思う。本物の勝因を積み上げてきた、あなただから。

 

 裸足のヒロカゼ、ラストスパートで完全に仕上がった。

 あなたは本当に心のある人で、でも、感情を表すのが下手だなあ。

 そこがあなたらしくて僕は好きだ。

 前日に電話したとき、「う、受かってきます!」って、ありがとう。

 その言葉どおりの、素晴らしい結果だったよ。

 

 オオクボ、見せつけたなあ。

 文句なし。「見たか!」っていう感じの、結果だろう。

 理科、取りきって、突き抜けたね。

 信じて待ってよう。大丈夫だ。

 

 シンゴ、色々とヒヤヒヤさせてくれたけど、最後は何とかしてくれたな。

 そのへんがまあ、あなたらしいと言えばらしい。

 何だかんだで最後は何とかする男。

 生活感のないあなたはどう休むのか謎だけど、ゆっくり休んでくれ。

 

 アヤノ(イシカワのお姉さん)、最後まで開拓塾を信じてくれて、ありがとう。

 プレッシャーに負けずに、よく戦った。

 長いね、発表まで。

 でも僕は、信じて待ってる。

 あなたが僕たちを信じてくれたように、あなたを信じて、待ってる。

 

 マイコ、よく取ってきたぞ。

 数学の定義・定理の件、完全に意味不明だけど、まあ、そのくらいはいいだろう。

 一年前をちょっと思う。こんなところまで来たんだなあ、あなたは。

 最後まで明るく、ありがとうね。

 

 アヤノ(マツダのお嬢さん)、国語の報告ありがとう。

 プレから数えて五連覇。すげえなあ。

 苦手の数学も、ここまでよく頑張ってきたよ。

 どんなときも、望月先生に負けないくらい爽やかで、笑顔で。

 あなたが電話で「何も考えてない」と言ったあのひとことが、あなたのいいところだ。

 

 オカケン、前日、電話繋がってよかった。

 B日程、さすがの修正だったね。

 電話でA日程のスラスラの自己分析を聞いたとき、ああ、大丈夫だ、と思った。

 ああ、オカケンだ、と。

 あなたがあなただから、安心できた。

 最後まで、ありがとう。

 

 ナオ、手紙というか何というか、ありがとう。

 あなたは、本当に面白いなあ。

 みんなで楽しく読ませてもらいました。ちなみに僕は一箇所もマジックを引きませんでした。

 あなたほど入試を楽しく受けてきた子も、そういないだろうな。

 本物の力があってこそ。素晴らしい道のりがあってこそ。

 

 ミスズ、A日程から、よく復活したなあ。

 あなたと電話していた松岡先生が得点を叫んだとき、僕は紅林先生と抱き合って泣いた。

 頭がおかしくなりそうだった。

 あなたの「ありがとう」が聞けてよかった。

 あなたに「ありがとう」が言えてよかった。

 

 ユカ、直前でちょっとバタバタしたけど、最後までよく頑張ったよ。

 お母様に髪を切ってもらいにいくことを本気で考え始めた今日この頃ですが、駄目かなあ。

 二者面談でその提案したとき、お母さんちょっと嫌そうだったもんなあ(笑)。

 信じて、待ってようね。

 最後には、あなたに似合う、ふわーっとした笑顔があるって。

 

 ユリ、やはりというか何というか、あなたは大丈夫だったね。

 体調も、ギリギリで間に合わせるあたりが、さすがっていうこと。

 B日程の朝、夏目先生があなたをつかまえて僕に電話をくれたとき、いつになくテンションの高いあなたが面白かった。

 素晴らしい一年だったね。

 そして、あなたの旅がひとつ、終わったね。

 お疲れさま、スナフキン。

 

 ここからの十日間は、本当に嫌なものだ。

 信じる、願う、祈る、それ以外に何もできない十日間。

 そんな中でも新しい毎日は確実に始まり、何かに出会って、向き合って。

 本当には何も終わらないままに、それでも始まりを選び取って。

 そんなふうにして僕はこれからも、生きていくんだろうな。

 

 部屋に帰って、弟が誕生日にくれたスコッチがまだちょっと残ってるからそれを飲んで、眠ろう。

 十日後という近い未来、あなたが笑顔であることを信じて。



心配しないで 2009年03月08日 
箸本‘husky’竜也 

 一緒にいるのに、離れ離れ、って。

 そういうことって、ある。

 

 あるいは、その逆もある。

 めったに家族と会わない。
 でも、彼らと離れ離れだと感じたことは一度もない。

 何年か前、自分が本当に追い込まれていた時期に、友達が「いつでも傍にいます」と言ってくれたことがある。

 僕はいまだにその言葉を覚えているし信じているが、ときどき、思う。

 サワキ、一年に一度も会えないけど、やっぱり君は僕の傍にいるんだろう。

 でもどうだろう、はたして僕は、誰かの傍にいるんだろうか?

 

 僕の最も好きな映画のひとつ、「ミスティック・リバー」の中で、ショーン・ペンが言っていた。

「死ぬときは一人だ。だが、傍にいてやりたかった」

 

 花が咲いて、枯れて。

 いつかは全てが通り過ぎていくのかもしれない。

 ただ、この世界で、僕とあなたたちは、出会ったね。

 

 ああ、何か、コントロールできないなあ。

 思考も、感情も、記憶も。

 

 くちゃくちゃの中で、受かってほしいという願いだけが。

 

 できることなら、いつものように、傍にいて、一問一問を解くあなたの横で、伝えたい。

「大丈夫、それで正解だ」って。

「それは難しいから、いったん飛ばしたほうがいいよ」って。

 

 もしもそれが本当に叶うものなら……。

 

 最後は、一人だね。

 それは、どうしようもないこと。

 でも、僕たちは、一緒だから。

 矛盾してるけど、他に言いようがない。

 

 一人だけど、一緒だよ。

 離れてるけど、傍にいる。

 

 受かっておいでよ。

 心配しないで。



プリンス 2009年02月28日 
箸本‘husky’竜也 

 三年前、二川校が開校した。

 二十三の僕は塾長に導かれ、空っぽの教室に机を入れるのを手伝い、数週間後に始まるはずの授業の絵を、無理矢理に思い浮かべようとしていた。

 

 あの頃。

 アヤノが完璧なほどの無表情で最前列に座り、まっくんが本当に小さくて、ヨシノリがとてもFBIには見えなかった、あの頃。

 僕もあなたも一年生だった、あの頃。

 誰もが「開拓塾の授業」を知らず、誰もが「初めての開拓塾」に戸惑いながら、それでも、一生懸命で。

 

 二川校も、すっかり「開拓塾」になったなあ。

 すぐには信じることが難しいくらいに、クラスも劇的に変わった。

 最後の通常のときのように、互いを讃え合えるクラスに。仲間を応援し合えるクラスに。

 三年間で。

 そしてその三年間の中心に、いつもあなたがいたね。

 

 あなたを「プリンス」と呼び始めたのはいつの頃からだったろうか。

 中一の頃から、漢字テストを一度もサボらなくて。

 すごくお洒落で。

 僕と服の趣味がちょっとかぶって。

 僕の私服を見ると、クラスの子たちは「マキタ・シャツ」って言ってた。

 校舎で焼き肉をやったとき、偶然、二人でそっくりな帽子をかぶっていたこともあったね。

 本当に優しくて。

 僕の無茶なフリにも、無茶に答えてくれて。

 授業の中で、たとえ自分が一人になっても、僕たちを一人にはしなかった。

 

 三年間、たくさん話してきたなあ。

 プリンスよー、俺も成長したけど、ある部分、あの頃と何も変わってないよな。

 俺さ、一貫してた自信があるんだ。

 セキララで、何ていうか……箸本竜也だよな、あの頃も、今も。

 それがあなたに少しでも届いていたことが、本当に嬉しかった。

 ありがとう。

 

「俺のために受かってくれ」って、メチャクチャだよな。

 塾講師失格級の台詞。

 その言葉自体は、間違ってる。

 もちろん、マキタユウヤの合格は、マキタユウヤのためにあるんだ。

 それは、僕もあなたも本当はわかってる。

 僕はただ、あまりにもあまりにもあなたに合格してほしくて、他に言葉が見つからなかった。

 それは僕もあなたも本当はわかってる。

 わかっていて、それでもあなたは、「箸本先生のために合格してみせます」と言ってくれた。

 あなたは、「俺のために」という僕の間違いを笑って許し、

「受かってくれ」という僕の本当を受け止めてくれた。

 ありがとう。

 

 プリンス、もう少しだね。

 最後まで走ってくれ。

 敢えて間違いを言えば、「俺のために」。

 

 一年生で、一年生のあなたに出会えて、

 二年生で、二年生のあなたに向き合えて、

 三年生で、三年生のあなたを見送ることができて、よかった。

 

 プリンス、あなたはいつか、とてもとても素晴らしいものに出会うと思う。

 そのときに、「だから言っただろ」と勝ち誇った顔で笑う僕を、ちょっと思い浮かべてくれたら嬉しい。

 

 三年間、ありがとう。

 二川校にいてくれて、ありがとう。



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