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ジャスト・ライク・ユー 2007年08月14日 
箸本‘husky’竜也 

手紙ありがとう。

 

 あの夜、一人で校舎に残って、何度も君の手紙を読んで、正直に言うと、少しだけ泣いた。

 授業の中では絶対に見せない君の痛みが、決して真顔では言わない君の望みが、あまりにも切実で、透き通った願いが、胸に刺さって。君がどれくらい傷ついて、どれくらい……ある意味じゃ無理をして、どんなふうに生きようとしていたのか、それが伝わってきて、切なかった。

それでも僕は……講座で会ったときにはちょっとしか言えなかったけど、君の手紙が、本当に、本当に嬉しかった。僕が二十四年間で出会った全ての言葉の中でも、あれほど嬉しいものはあまりなかったと思う。

ありがとう。

 

 君は優しいから、いつだって冗談めかして話すんだと思う。相手にとって重くなりすぎないように。それが君にとって実はけっこうシリアスなものであっても、それを相手に投げつけることが、君にはできないんだと思う。

 

 手紙の中で、君は僕にひとつ、質問をした。

 きっと、「イエス」と答えるのが優しさなんだろうな。君は僕にそう言ってほしかったのかもしれない。

 弁解じゃないけど、マジで考えた。

別に「イエス」と言えば嘘になるとも思わない。そう信じればいいだけの話なんだから。事実、そう信じるべきなのかもしれない。君が「イエス」と信じられるなら、信じていい。

 でもごめん、僕には答えられない。なぜなら、君がした質問を、僕自身、自分にときどき問いかけてしまうから。で、答えは出ない。だから、たまらなく怖くなる。僕の人生において、もしその答えが「ノー」ならば、と。

もう二度と、ね。

 

 君はこれからも失敗するかもしれない。

 あるいは、僕も。

 君はこれからもズタズタになるかもしれない。

 あるいは、僕も。

 君は何かを疑い、あきらめそうになるかもしれない。

 あるいは、僕も。

 君はずっと答えを見つけられないまま、歩き続けるはめになるかもしれない。

 あるいは、僕も。

 

 わかるかな、ある意味じゃ、僕だって君と何も変わらないんだよ。

 

 でも、君よりちょうど十年長く生きてるから、ひとつだけ偉そうなことを言おう。

 人が強いのか弱いのか、僕にはわからない。強い人と弱い人がいるのかどうかもわからない。結局、みんな同じなのかもしれない。

 ただ、強くなれる場面というのは確実にある。

 嘘じゃない、慰めでもない、誓ってもいい。

ミキ、僕はちょっと、強くなったんだよ。

それを本当に見せたい相手がどこにもいないってことが、ときどき悲しくなるけどね。

 

大丈夫、君は自分が思うほど弱くない。

 別の言い方のほうがいいかな、君には弱い部分もあるが、自分でもよくわかっていないくらい強い部分も持ってる。そういうこと。

 すげー偉そうだけど、この僕が言うんだ、信じなさい。

 

 答えが出なくても、次の場面を見に行こう。引きずるということと進めないということは別物だ。僕は塾講師で、答えを導くのもひとつの仕事。でも、何ていうか、生きていくということについて、答えを出すばかりが能じゃない。そうだろう?

 

たくさん話しにおいで。

たくさん泣きにくればいい。

そんなことが何だ、君の強さとは何の関係もない。

 

 手紙の中で君が僕に言ってくれた言葉を、そのまま君に返す。

 

 悲しんで、傷ついて、ときに色あせても、それでも、全て帳消しにできるような、笑える場面を、美しい場面を、たくさん見よう。

 君には……僕たちには、きっとそれができるよ。



山口章の結婚 2007年07月19日 
箸本‘husky’竜也 

一昨日の夜、古い友人から「入籍した」というメールが届いた。

 

 山口章に僕が出会ったのは、実に二十年も前のことだ。当時僕たちはまだ幼稚園児だった。

 同じ小学校、同じ中学校。

今でもはっきり覚えているのは、中二のとき。場所は理科室だった。当時、僕たちは仲が悪く――というか、僕が一方的に嫌っていた――彼の言った些細なことにやたら腹を立てた僕は、「お前のそういうところがムカつくんだよ。だからお前が嫌いなんだよ」と言ったのだった。山口は、「悪かった」という気持ちと「なるほど、納得できたよ」という気持ちが混ざったみたいな変な顔で「ごめん」と言った。

ひどい奴だ俺。でも、言ってよかった。それから、友達になった。

 僕は市外の高校に通うようになり、中学の友人たちとの付き合いは途切れた。山口とも、高二の夏を最後に会わなくなった。

 再会したのは、僕が高校を出て、一年浪人していたとき。予備校に行く初日、電車の中で、奴は僕の正面に座っていた。山口はこちらを見ているのに、僕を旧友だと気づいていないようだった。馬鹿かお前はとも思ったが、すさんだ高校生活の中で、僕の顔はずいぶん変わっていた(写真を見るとわかる)。僕は「いい加減に気づけよ」という顔で山口に笑いかけ、あのタコは「箸本!?」と言った。

 浪人の一年間は、高校の三年間よりずっと楽しかった。僕が高校を嫌いだったこともあるが、山口がいたことも大きかったと思う。

 僕は京都の大学に行き、彼は千葉の大学に進んだ。

大学の夏休み、実家に帰ったときなんかは、ときどき会った。八月は僕の誕生日で、あの几帳面な男は、常に何箱かの煙草を「プレゼント」とほざいて置いていった。

 僕は豊橋で塾講師になり、彼は一年遅れて福岡で不動産の仕事に就いた。大学を一年留年したのだ。阿呆が。

 最後に電話があったのは、僕が大学を卒業する少し前だ。あのときは、何てタイミングで電話して来る奴だ、と思ったものだった。あのとき、本当はどうしても山口に話さなくてはいけないことがあったのに、言えなかった。

 いまだに、言えていない。

 

 授業後、メールに気づいた僕はすぐに電話をかけて、ひどい言葉で山口をののしった。彼が口を開く隙さえ与えない激しさで。

「馬鹿、十日もたってから報告してくるなんて何考えてんだこのタコ、水臭いんだよ、俺を誰だと思ってんだ阿呆、くたばれ、このクソったれが」

 山口はずっと笑っていた。僕が全然怒ってないのなんかバレバレだった。そりゃ十年も付き合ってるんだから。僕はただ、山口の前で泣きたくなかっただけだ。

「ったくこのボケが。お前は最低だ。よかったじゃねえか」

 駄目だった。そこまで言って、胸がつまった。

 色々思い出した。あの男と過ごした多すぎる場面のことを。かつて僕が、恐ろしく幼稚で、傲慢で、それでも山口が僕から離れていかなかった頃のことを。一人になりたくて、それが強さだと信じて疑わなくて、でも、山口だけは傍にいても別によかった、そんな時代のことを。

 

 別に結婚は万能ではないが、こいつが結婚するのかと思うと、何かよくわからないけど嬉しくて、何かしら素晴らしい言葉を贈りたくて、でも、どうしても浮かんでこなくて。結局僕は、誰にでも言えるような、面白くも何ともない言葉を、ひとつだけ、贈った。

 

 山口、お前が福岡で不動産の仕事をすることになった、と連絡してきたとき、僕はとても不思議な気持ちになったよ。うまく言えないが、僕たちの人生は動いているんだな、と思った。

 お前がいなかったら俺の人生は変わってた、とか言わない。お前にそんなことは言ってやらない。仮にお前がいなくても、僕はやはり、京都の大学に行き、豊橋で塾講師になっていただろう。

 それでも、山口、お前がいてくれたおかげで、僕は本当に、本当に楽しかった。君がいなかったなら、僕の十代は、もっともっと寒いものになっていたと思う。

 

 山口と結婚する誰かさん、僕はあなたに会ったことはないし、名前すら知らないが、なかなかいい選択だと思います。大事にしてやってください。あの男は、けっこうタコなところもあるけれど、本当に……いい奴だ。僕は「いい奴」という言葉が嫌いです。そんなのヘタをすれば誰にでも当てはまってしまう言葉だから。それでも、敢えて言います、あいつはいい奴です。だって、こんな男と十年も友達でいてくれたんだから。

 

 三本木校からの帰り、何が何だかわからないままに、僕は車の中で唐突に激しく泣いた。

 カー・ステレオからジョン・デンバーの「テイク・ミー・ホーム、カントリー・ローズ」が流れていた。思えば、山口章という男は、家族を除けば……僕と故郷とを繋ぐ、最後の線なのだった。

 

 山口、あのとき、大したこと言ってやれなくて、ごめん。お前にはさんざん偉そうなこと言ってきたのに、お前としてもたぶん、箸本らしいキザな台詞をちょっと期待してたと思うのに、いざってときに何も出てこなくて、ごめん。僕はそれが少し悔しかった。

 部屋に戻ってから、一人で飲んで(お前はどうせ酒飲めないだろ)、色々考えたけど、無理だった。あれが僕の精一杯だ。だから、一応、もう一度。

「お幸せに」。

 

 山口、俺が幸せかどうかなんて考えるな。それはお前の本当にいいところで、でも、駄目なところだ。自分のことだけを考えろ。

 僕にはよくわからない。いつか、お前の知らない場所で、お前の知らないやり方で、幸せになるかもしれない。でもそんなことは、今のお前が考えるべきことじゃないんだよ。

 

 山口、君がいてくれて、よかった。

 

 幸せにな。



川内三丁目の幽霊 2007年07月12日 
箸本‘husky’竜也 

 一度だけ、幽霊を見たことがある。

 

 僕は二十歳で、京都の大学生だった。長い夏休み、ちょうど今頃だったと思う。故郷の町の祭りが見たくて、群馬の実家に帰った。

 僕が育った桐生という町の隣に、大間々という小さな町があって、桐生祭りの少し前に、大間々でも祭りがある。どうせなら大間々祭りも見て帰ろうということで、僕は自転車で出かけていった。

 

 ひとつだけ、通りたくない場所があった。桐生から大間々祭りへの最短ルートには、高津戸橋という橋が架かっている。そこはちょっと有名な自殺の名所で、よくない噂もゴロゴロしていた。僕の中学のときの友達が、野球の試合の帰りに高津戸橋を通って、どこか普通じゃない雰囲気の女の人とすれ違い、「今振り返っていなかったら怖いよな」と言って振り返ったら本当に姿が消えていた、というやたらリアルな(どう考えても作り話で人をからかうような友達じゃなかった)怪談も聞いていた。

 だから、いったん南へ出て、橋を迂回する。大した遠回りでもなかった。

 

 故郷の祭りというのはいいものだ。

 僕は四年間京都で過ごして、いくつか大きな祭りを見たけれど、はっきり言って全く気持ちが動かなかった。よくも悪くも、祭りというのはヨソモノのためのものではないのだ。観光客のための祭りは、単なるイベントだ。その町で生まれ、その町で生きている人々のための祭りには、何というか、どうしようもない切実さがある。心の底から、人々がそれを求めているのがわかる。そういう切実さに、僕はひどく惹かれる。

 

 別に美味しくも何ともないたこ焼きを食べて、酒屋の前で氷水につけて売られていたビールを飲んで、太鼓のリズムに酔っ払って、祭りばやしが終わる頃、祭りの後にいつも感じる小さな胸の痛みを抱えて、僕はゆったりと自転車をこいだ。

 夏が終わっていく気がして、故郷が少しずつ遠ざかる気がして、自分だけが取り残されてゆくような、悲しい予感がした。

気がつくと、目の前に暗い水の流れが見えていた。

 時刻は十一時をまわった頃だったと思う。

高津戸橋。

 僕は忘れていたのだ。

 

 僕はほとんど迷わず耳にイヤホンを突っ込んで、MDウォークマン(アイポッドみたいなものは当時まだ普及していなかった)のスイッチを入れた。何を聴いていたのか全然覚えていない。

 渡ってしまおう、と思った。二十にもなった男が自殺の名所にびびって来た道を引き返すなんて、あまりに馬鹿らしい。

「絶対に振り返るな」。

 僕はそのことだけを自分に言い聞かせた。

 何が聞こえても、何とすれ違っても、絶対に振り向いちゃ駄目だ。

 

 結論から言えば、何も見なかった。何も聞かなかった。

 橋を渡ってしばらく走った頃、何だよ、と僕は思った。こんなもんさ。そう簡単に幽霊なんて見てたまるか。

 家まであと五分くらいのところまで来たとき。

 

 いまだに、自分がどうしてあんなことをしたのかわからない。

 どう考えても、そういうふうに決まっていた、としか思えない。

 強烈なものと出会うとき、それが恋人でも景色でもいい、そういうときには、自分が何かとんでもないものに巻き込まれそうになるようなプレッシャーのような、わけのわからない感覚に捕われることがある。それは一瞬のもので、次の瞬間には消えていたりする。刹那の感覚。周りの景色がぐらつくような、異様な感覚。

 

 MDから流れていたヴォーカルが、スローになってフェード・アウトした。

 電池が切れたのだ。今思えば、あれはそういうタイミングだったのだろう。

 僕は、不意に、左を向いた。

 なぜか。

 それがどうしてもわからない。ただ、僕は左を向いたのだ。

 視線の先に、老婆が座っていた。

 

 そこは古ぼけた小さな……お年寄りが生活するための施設だった。

 建物の電気は完全に消えていて、外灯が一本だけ立っていた。その光に照らされて、老婆の姿は浮かび上がるようにそこにあった。

 そのときは、幽霊、とは思わなかった。

 だが、老婆の顔を見た瞬間、何かとんでもないものを見てしまったという恐怖で、心臓が数秒止まり、背中の毛が逆立つのがわかった。

 彼女は笑っていた。それは、僕がそれまで一度も見たことがない種類の笑い方だった。

 細められて目尻がわずかに下がった目、ほとんど真横に開いて、両端だけがきゅーと上に引っ張られたような形に歪んだ口。その目も、口も、中は真っ黒だった。というより、「中身」が何もなかった。それは厳密には目でも口でもなく、顔に開いた単なる穴だった。その空っぽの穴は、確実に正面から僕と向き合っていた。でも、妙な感じだけれど、彼女は僕を見てはいなかった。老婆の表情は固まっていたのだ。あり得ない笑い方だった。彼女は僕がそこを通る前からずっと笑っていて、僕が通り過ぎた後もずっと笑っているのだ。そういう気がした。

 彼女の姿は3Dの映像のようだった。赤と青の眼鏡をかけないと立体的に見えないような、そこにあるようでないような。彼女はずっとずっとそこにい続けるのだ、と僕は思った。誰にもその姿を見られることのないまま。でも、僕は見た。

 通り過ぎる一瞬の間に、その全てが頭をよぎった。それは本当にわずかな時間で、でも、歪められて引き延ばされた、長すぎる一瞬だった。

 

 だから振り返るなと言ったんだ。

 僕はひどい後悔をしながら家まで走り続け、両親に土産のたこ焼きを投げ出すと、そのまま二階の部屋に上がって布団にもぐりこんだ。ただひとつのことだけが、頭から離れなかった。

 あんなところに老婆が座っているわけがない。

 いていいはずがない。

 いるはずがないんだ。

 

 その夜、老婆が夢に現れた。

 夢は夢だ。だから、ここから先は怪談じゃない。

 それほど怖い夢ではなかった。ただ、お婆さんが出てくるだけだ。周りの景色は何も覚えていない。真っ暗だったのか、花が咲いていたのか、全然覚えていない。

 彼女は、僕に向かって、ただひとつの言葉だけを呟き続けていた。少しも表情を動かさないまま。

「許しておくれ」

「許しておくれ」

「許しておくれ」

 そんなことを言われても、何を許せばいいのか、僕にはまるでわからなかった。

 

 あれからずいぶんたった。

 僕は京都を離れて豊橋で暮らすようになり、実家には一年のうちで一週間くらいしか帰らない。夜中に自転車に乗ることもなくなったし、MDウォークマンはもう使わない。大間々の祭りには、あれ以来、一度も行っていない。だいたい、大間々という町の名前も、今では消えてしまった。祭りがどんな名前で行われているのか、あるいはそもそも祭りが行われているのかも、僕は知らない。そのこと自体は別に悲しくはない。ある意味では故郷を捨てた人間が、そんなことで悲しむべきじゃない。

 それでもいまだに、二十の頃と同じ夢を見る。ときどき。

 夢の中で彼女は、あのときのまま、真っ暗な目と口のまま、僕に同じことを言い続ける。

「許しておくれ」。

 

 そんな夢を、四年間見続けてきた。

 僕はもうすぐ二十五になろうとしていて、いまだに、彼女の言いたいことがわからないのだった。



最低の別れ 2007年07月02日 
箸本‘husky’竜也 

 数日前、捨て猫を見た。

 

夜明け近く、小坂井方面の川沿いの狭い道を走っているとき、道路の隅に灰色の小さな塊が見えて、車から降りてみると、傍にダンボール箱が転がっていた。彼だか彼女だか、ヘッドライトに照らされたそいつは、痩せた小さな顔についた潤んだ目で僕を見て、小さく鳴いた。

 無理だよな、と思ったが、革靴に擦り寄ってミーミー鳴く子猫をどうしても無視できなくて、ダンボールごとトランクに放り込み、帰り道のセブン・イレブンで生まれて初めてキャット・フードを買った。アパートの部屋に連れ込むわけにもいかず、近くの神社に連れて行き、そこで餌を食べさせた。紙皿に餌と水を入れて立ち去ろうとすると、猫は顔を突っ込んでいた皿から離れて僕についてこようとした。

胸が痛んだ。ひたすらどうでもいい些細なことでいちいち傷ついていた十代の頃の気持ちを、久しぶりにひどくリアルに思い出した。

でも、結局のところ、僕は十五の少年ではなく、二十四の塾講師だった。僕はそいつを抱きかかえて餌の皿の傍に戻し、「悪いな」とだけ言ってリリーに乗りこみ、部屋に戻って眠った。

バック・ミラーを一度も見なかった。

 

 翌日、仕事が終わってから夜明けの神社に行ってみた。馬鹿みたいにキャット・フードを持って。

子猫はいなくなっていた。いるわけがない。身勝手なだけの男を二十四時間も待ち続ける義務など誰にもない。

 くだらないとは思いつつ、二時間くらい、近所を探した。どこにもいなかった。死体も見当たらなかった。次の日も。次の日も。次の日も。その、次の日も。

たぶん、一年半ぶりの長い散歩を繰り返しながら、ただただ、自分のことを最低だと思った。別に理由は要らなかった。

 

きっと、心ある誰かに拾ってもらったんだろう。君は今頃、誰かの膝の上で眠ったり、誰かの顔を引っ掻いたりしているんだろう。

そういうことにしたほうがいい。

 

わかってた。優しさなんかじゃない。自己満足だ。最悪の罪悪感からとりあえず逃れるだけの偽善だ。まやかしだ。逃げたんだ。わかってた。偽物の善は、本物の悪よりもタチが悪いのだ。わかってた。そんなことはわかってた。でも、あの子はお腹を空かせて泣いていて、出会ってしまったのは僕だった。何となく、僕はそのことを謝りたい。

ごめんよ。

 

何だかんだで、全ては僕の弱さで、それは、変えられなかった。

 

 だから何も願うまい。僕にそんな資格はない。

 

 昨日、もう一度だけ、最後と決めて、神社に行った。

 曖昧に曇っているせいで夜が明けているのかどうかもわからない、やたらぼんやりとした空気を縫って、近くの河原まで歩いた。何本煙草に火をつけたかわからないが、全く味がしなかった。遠く、車がまばらに行き来する橋の向こうにオレンジの街頭が並び、それが川面に映って、燃えているみたいだと僕は思った。

 

 じゃあな。もう会うこともない。

 君のことは忘れるよ。

 君に名前をつけたりしなくて、よかった。



セキサイリョウ 2007年06月14日 
箸本‘husky’竜也 

二川校から豊橋本部に帰るまでの道路には、トラックが多い。で、車体の後ろにときどき「積載量」の標示がある。積み荷の限界。9600kgとか12000kgとか。

 

「限界を感じた」と言ってスポーツ選手が引退する。ああそうか、と僕は思う。限界なら仕方ないかな、と。

 

「無理をしないでね」と誰かが言う。僕自身、同じ台詞を誰かに言うこともある。

 

 できることなら、その優しさに応えたい。

 でも、僕はとてもワガママな人間で、「その先」を見たい、とついつい思ってしまう。無理、限度、限界、言い方は何でもいい、そういうラインの先にあるものを、見てみたいと。

 

 別にいい。その先にあるものが、素晴らしいものでなくても。新大陸とか楽園とか、そういうものを探しているわけじゃない。水平線を突っ切った彼方にあるのが、ただ見晴らしがよくなっただけの海原でも、何もない砂漠でも、わりとありがちな墓場でも、別にいい。

 ただ、「その先」が見たいだけ。

 

 もう限界、とか何とか言いつつ、いつだって乗り越えてきたじゃん。突き動かされるみたいにして、ちょっと強くなったりしたじゃん。

 

 赤信号で、目の前に止まったトラックの積載量をにらんで、軽く首を振る。

 量られないよ、そんなに簡単には。



ジャスト・ハスキー 2007年05月14日 
箸本‘husky’竜也 

「箸本君も俺もさ、一人でいるのが全然平気だから、たとえば休みの日とか、自分から誘うことってあんまりないし、そういう二人が『そのうち飲みに行こう』って言ってても、なかなか実現しないね、流れちゃって……」

 そう言って笑ったのは最近の長神先生。実に正しい。

 

 一人でいるのが本当に好きで、休みの日なんかは、一言も口をきかずに過ごすことなんてざらにある。一昨日だって喋った相手はコンビニの店員だけ。「キャメルの、マイルドを、カートンで」。そんなの喋ったうちに入らねーよ。大丈夫か俺。

その僕にしては、実によく喋った一週間だった。

 火曜日は、三本木校の授業の後、紅林先生と夏目先生と僕とでずいぶんと話しこんだ。水曜日は、中浜校の授業の後、建部先生と板倉先生と食事に行った。で、金曜、豊川校の授業の後、小澤先生とファミリー・レストランで三時半過ぎまで話をしていた。

 

 普段、色々な位置づけというか、立場というか、そういうものの中で生きてる。先輩だったり、後輩だったり、上司だったり、部下だったり、教師だったり、生徒だったり。親と子、友人同士、恋人同士。意識するかどうかは別として、そういう全ての役割から自由になることは難しい。で、別に、必ずしも自由になる必要があるわけじゃない。

 ただ、小澤先生と、お互いにとても大切な話をした後で、眠る気にもなれずにリリーを飛ばしていたときに思ったのだけれど、何て言うんだろうな、ただの人間だな、ってこと。ああ、俺はただの箸本竜也だわ、って。

 

 皆、抱えているものがあるわけで。当たり前に。笑い飛ばせそうでなかなかそうできない不安とか、敢えて問題提起するほどでもない迷いとか、ささやかだけれどちょっと切実な願いとかさ。そのどれも大して大きいものじゃないとしても、僕たちの日常というか、生きていくということを作っているのは結局、そんな小さなものの集積なんじゃないか、とときどき思う。

勝ったり、負けたり、叶えられたり、裏切られたり、愛したり、憎んだり、愛しながら憎んだり、自分の中で何かが確かに生きていたり、死んでしまっていたり、それでもトータルとしてはちゃんと生きていて。ただの、人間として。

 

 小澤君、たくさん話してくれたこと、ありがとう。

 

僕は教師で、君たちは生徒で、それは変わらない。

それでも、ただの箸本竜也として、君たちに何かを話せればいいのにな、とときどき思う。思うのです。

 今日からまた授業が始まって、僕は「先生」としてみんなの前に立つ。僕は、「箸本先生」。でも、ただの俺。ジャスト・ハスキー。



僕のリリー 2007年04月16日 
箸本‘husky’竜也 

 リリーというのは最近できた僕のイギリス人の恋人、などではなく(そんなものできるわけないじゃないか)、愛車の日産ティーダに僕が勝手につけた名前である。

 

 僕はかなり「モノ」に対する愛着を持ってしまうほうだと思う。

 だから、捨てられない。部屋を見渡して見ると、あまりにもモノが多すぎる。たぶん、本当は捨てるべきであるはずのモノが多すぎる。もう使わないよな、もう要らないよな、もう持ってるべきじゃないよな、と思いつつ、「でもなあ……」と考えてしまう。

 

 それはたぶん、記憶、に関係する問題なんだろう。ある一つのモノの向こうに、自分がどんな光景を見ているか、誰の顔を見ているか、ということなんだろう。

 

 昔の人は、自然物だけではなく、全てのモノ、人工物にも魂が宿ると考えた。だから、人形の髪の毛が伸びるとか、傘が化けるとか、呪われた屋敷とかいうストーリーが生まれる。

 僕はそこまで極端じゃないけれど、年月を重ねるにつれて、モノは記憶や想いとの結びつきを深くしてゆく。

 

 高校時代に使っていたラケット。二度とあんなサーブは打てないな。

 十九年間を過ごした僕の家。僕の帰るべき「家」は今のところあの場所しかない。

 八年間も着続けているコート。ずいぶん古ぼけてしまったけれど、こいつを着てどれだけ最悪の冬を乗りきってきたか。何度も。

 五年近く使い続けているジッポー。どんな場所にいても、どんな気持ちでいても、僕はこのライターで火を灯し続けてきた。それはときには、自分を温める最後の手段だったり。

 

 モノに縛られた感性は寂しい。

 しかし、モノをただのモノとして突っ放すだけの感性も、それに負けず劣らず寂しいんじゃないかと僕は思う。

 

 僕のリリー。

 無茶な運転にも、よく付き合ってくれてる。

 寒々しい気分のときほど、耐えられなくなりそうなときほど、僕は君に乗り込んで、夜の街をあてもなく走ってきた。

 

 モノはただのモノだ。でも、それだけじゃない。

もうすぐ完成のテキストを手にとって、ぱらぱらとめくってみれば、わかる。

真夜中、一人きりで、誰も座っていない机と椅子の前に立ってみれば、わかる。

 黒板、チョーク、机、椅子、テキスト。

 それが僕たちの一部。

 全てがただのモノでしかないなら、ここに立つ僕たちは寒すぎる。

 

 ごめんよ、リリー。

 最近は洗車もしてないし、助手席には買ったCDとか煙草の空き箱とか頭痛薬とか置きっぱなしでぐちゃぐちゃだけど、ちゃんと綺麗にするから。

 今度の週末、京都にでも行こう。二人で。



チャラ 2007年04月04日 
箸本‘husky’竜也 

 本当に、終わったんだなと。

 何だか凄い一年、というか一シーズン、だった。良くも悪くも。

 

 一つ何かを得ると、一つ何かを失う。

 これはもう、逃げようのない法則じゃないかな。

 お金を得ると飢えを失ったり、経験を積むと若さを失ったり、恋人ができると孤独を失ったり。色々。

 で、得るものと失うものを、いちいち天秤にかけてみたり、敢えて天秤を放り出したり、そんな余裕がなかったり、余裕のないふりをしてみたり、結局、選べないうちに結果だけ決まってしまっていたり。そんなこんなで、時間だけは確実に失っていて。日々。

 

 僕はときどきリストを作る。

 それはたとえば「この一週間ですべきこと」のリストだったり、「来月までには終わらせたいこと」のリストだったり、「いつか遂げたいこと」のリストだったりする。

 ここ何日か、この一年で自分が得たものと失ったもののリストを作ってみようか、と考えていた。昔読んだ小説に出てきたみたいに、ノートの真ん中に一本、線を引いて、左に得たものを、右に失ったものを書いてみる。そんなことをやってみようかと。

で、結局やめた。代わりに、僕は自分に一つだけ質問をした。

「この一年で得た全てで、失ったものの埋め合わせはつくのか?」

 

 一つ得ると、一つ失う。

 その鉄則にのっとって言えば、リストの右と左は同じ数にならなくてはいけないはずで。

 でも、違うな。

 たぶん僕は、いざリストを作り始めたら、「得たもの」の欄にばかり書き込みをしていってしまうだろう。この一年、書くに値するもの、覚えておくべきこと、そういうものを本当にたくさん得ることができたと思う。それに比べて、リストに載せておくべき喪失なんてのは、大した数じゃない。そういう意味じゃ、実に素敵な一年だった。そんなにないや、書かなくてはならない「失ったもの」なんて。

 それでも。

 

「この一年で得た全てで、失ったものの埋め合わせはつくのか?」

 

 答えは「ノー」だ。

 

 昔、あるロック・スターがこういうことを言っていた。

「俺は昔、家が貧しくて、遠足に満足な弁当を持っていくことができなくて、新聞紙に包んだコッペパンをひとつ持っていったら、みんなに同情されちまった。確かに今の俺には腐るほど金があるけど、あのときの弁当は、今どれだけ金を出しても食べることはできない」

 

 ときどき、取り返しのつくことなんか何ひとつないんじゃないかという気がする。

 何てことだ。恐ろしいね。でも、僕はそれを半ば信じてる。だって、取り返しのつくことばかりをやり続けられるのだったら、俺たちはいったい何だ?

 

 で、「ノー」。

「ノー」なんだけど、埋め合わせはつかないんだけど……。

 

 でも、チャラってことにしないか?

 どうよ俺。そういうことにしないか?

 

 君の満点で。

 君の握手で。

 君の涙で。

君の言葉で。

 君の弾いてくれたあの曲で。

 君の電話で。

 君の手紙で。

 君の笑顔で。

 僕たちの、笑顔で。

 それで、チャラってことに。

 

 終わった。

 本当に終わった。色々。

 でも、もう始めなくちゃいけないから。

 花吹雪が舞い、蝉たちが泣き叫び、落ち葉が積もり、熊たちが眠りにつき、そんなふうに、季節が巡るように、始まりは理由も理屈もなくやって来て、生きている限り、僕にそれを拒むことはできない。

始まりから逃げられないなら、せめて始まりを選び取ろう。そうでなければ、ただただ流されてゆくしか道がなくなる。

 

 たとえ埋め合わせはつかなくとも、永遠につかないままでも。

いつまでもここにいるわけにはいかないや。

 

 だから、そういうことにしないか。

 始めるために。

チャラってことに。



それしか言えないや 2007年03月25日 
箸本‘husky’竜也 

昨日は電話ありがとう。そして、おめでとう。

君と話した後で、ゆっくりとフラッシュバックがやって来た。ゆっくりだったらフラッシュバックって言わないのか?でもその、スローモーションの映画みたいにくるくる回る思い出は、何だか君にぴったりだった。

 

君と最初にまともに話したのは、たぶん、四月かな。確か、学校の宿題で、自分の好きな音楽についての英作文を書かなくちゃいけないとかそんな感じで、なぜか国語の僕がなぜか社会の吉田先生と一緒に、君の作った日本語を英語に訳そうと苦闘していたんだった。僕は「Her voice makes me crazy.」って案を出したんじゃなかったっけ?

 

漢字テストは、ずっと満点。

一度だけ、九回目だったかな、たった一問のミス。でも君は、あとの三回を全て100点で締めくくった。表彰のとき、無茶苦茶にでかい変なスリッパをはいた君が、とことこ皆の前に出てきて、真っ赤になってたのをよく覚えてる。

 

君は不思議な子だった。別に悪い意味ではなくて。

何ていうか、とてもゆったりと生きているように見えたんだね。僕の目には。しつこいけど、全然、悪い意味じゃなくて。いつか言ったと思うけど、君の周りだけ、いつもゆっくりと時間が流れているような感じがしてて。僕はそれがちょっと不思議で、正直、君を見ているのがなかなか楽しかった。

 

秋期講座。僕が本校に入ったときに、貼り出された座席を見た君は「Hクラスだー」とイマイチ意味不明のコメントを残しに僕のところへやって来て、「だって実力ないもん。でも内申はある。ウフフフフ」と笑ってた。ウフフフフじゃねーよ、そんなことないって、と僕は言った。あれは正しかったと思ってる。君はただ、実力を出すのがあまりに下手くそだっただけで。でも、僕はそのことをまるでわかってなかった。今にして思えば、君のあの言葉は、けっこう切実なものだったんじゃないかという気がする。

あのとき、わかってあげられなくて、ごめんね。

 

二学期の期末テスト。他の教科がちょっと伸びなくて、でも、国語は学年で一桁の順位だったって、君は報告に来てくれた。嬉しかったな。

 

そして、最後の開拓模試。今なら笑えるけどさ、本当に滅茶苦茶な結果だったね。君の得点を見て、どうしても信じられなくて、データのミスなんじゃないかって疑って、でも、そうじゃなかった。国語も大失敗。それこそ出鱈目な失敗。君はもしかして本番に極端に弱いんじゃないかって、初めてそう思ったのが、あの模試だった。

次の月曜、君を事務室に呼んで、話を聞いた。案の定、君は本番にすごく臆病で、大変な苦手意識を持ってた。気づくの遅すぎだよ俺。阿呆か俺。ごめん。でも、あのとき正直に言ってくれて、本当に助かったわ。

 

国府一本。それが君の志望校になった。

怖がりなはずの君が選んだのは、敢えて、たった一度の勝負だった。

君は、ちょっと背中を丸めて、一人で僕のところへやって来て。

僕の大嫌いな冬が来ていて。

勝たせてやりたい、と思った。

 

色々あったね。

何か、すごくよく覚えてる。

 

「本番で取るための手紙」、少しは役に立ったか?あれに書いたこと、塾長直伝だから。

 

君が解いてきた自主プロを、授業の度に添削したこと。いつもしっかり出来ていて、実力があることはもう確定だった。あとは、それをどう出しきれるか、それだけで。

本当に、それだけで。

 

「びびってないかー」。

それが、いつの間にか、君に会うときの僕の挨拶になってた。君はいつだって、「まだ大丈夫」って。二月の講座に僕が入ったときだって、「ちゃんと勉強してるもんでびびってない」って。すごく、はっきりと。正直、あの言葉はちょっと君らしくなくて、力強くて、何か、よかったな。

 

最後の一つ前の通常授業の後、広い教室に一人で残って、国語のテストをやったね。本当のことを言うと、あのとき、僕は焦りまくってた。ここで取ってくれなかったらどうしようって。君のことを信じてて、でも、もし、もし君が失敗したときに、それを圧倒できる勇気を与えられる自信がなかった。

でも、きちんと取ったね。つまらないミスも一つあったけど、取るべき問題を取りきった。君は「よかった」って。でも、本当にそう言いたかったのは僕だった。

 

電話したのは、A日程の四日前だったかな。そのときは、妙に落ち着いて「大丈夫」って言ってたくせに、A日程の前日、入直で会った君は完全に固まってて、僕は慌ててメモ用紙に手紙を書いた。かなり必死で、何を書いたかほとんど覚えてないんだけど。

「本番なんて、ただの本番だよ。受かっておいで」。

君が、各教科、最低何点とればいいかはっきりわからないと不安だって言うから、二人でそれを決めたね。国語、君は「16点」と言って、でも、それだけは僕が無理矢理変えた。「駄目だ、17点だ」って。偶然というか何というか、君が本番でとったのは、まさしく、あのとき決めた得点だった。

 

A日程当日、国府高校。

他塾の先生たちや保護者の方が見守る中、ワイン・レッドのジャケットを着たブラッド・ピットのようなクールな風貌で(ごめん、ちょっと調子に乗らせてくれ)完全に浮いていた僕の姿を見つけて、「やったー」と曇りのない笑顔で駆け寄ってきた君のこと。本番に弱い子だなんて信じられないような、やわらかい、のんびりした笑顔で。

門をくぐってからも、振り返って手を振ってくれた君のこと。

 

君の後姿を見ながら、祈った。

普通にやれれば絶対受かるのに。

普通でよくて、100%でよくて、それ以上なんか要らないのに。

いや、たぶん、90%でもいいのに。

「本番なんて、ただの本番だよ」。

何度も君にそう言った。

でも、その「ただの本番」が、たぶん、君には何よりも重たかった。

それに、正直、僕にとっても。

何よりも、たったそれだけのことが、重かった。

 

実際に君が出せた実力は、どうだろう、80%くらい?

でも、それでよかったね。

それで、十分だった。

君の80%で、合格には十分だった。

実力がないなんて、そんなことないって。僕が正しかったでしょ?

 

よかった。

よかった。