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夢見る頃のフィナーレ 2008年08月25日 
箸本‘husky’竜也 

 中三夏期講座の講義日程が終わった。
 二十四日、僕は豊川・二川でフィナーレ。

 よく走ったね。
 とても、書ききれないけど。とても、言い表せないけど。

 七月を思い出す。「いい夏にしよう」と……
 それを、果たせたよね。
 自分の手を伸ばして、つかんだよね。

 MVPの四人、みんないい笑顔だったな。

 アヤノ、いつもの伏し目がちな、でもとてもしっかりとした笑顔で、あなたは。
 揺るがないね。あなたは、揺るがない。
 僕たちがさ、二川校で、ともに一年生だった頃から。
 どんな授業も、どんなテストも、あなたの中では頑張るということがもう決まってる。
 ちょっと自惚れた言い方をさせてもらうと、それが開拓塾のものであれば、絶対に。
 あなたは言わないね、「頑張ったよ」なんて。
 あなたは言わないね、「塾が好き」なんて(別に言いたくなったら言っていいんだぜ……)。
 簡単に「わかってる」とか言っちゃいけないけど、それでも、アヤノ、僕にはわかってるよ。
 あなたがどれくらい強くて、どれくらい頑張っていて、どれくらい塾を好きでいてくれるか。
 アヤノ、わかってるよ。

 マリモ、迷いというものを一パーセントも感じさせない笑顔で、あなたは。
 あなたは、純粋な人だ。
 満点取ったほうが、嬉しいよね。名前が一番上にあったら、嬉しいよね。ほめられたら、嬉しいよね。
 僕だって、たとえば塾長にほめられたら嬉しい。塾長だって、僕に「さすがですねー」ってほめられたとき嬉しいって言ってたよ(塾長、これって書いてよかったですかね……)。
 けれど、どっちがいいかなんてわかってても、なかなかまっすぐに走れなかったりする。
 僕たちは人間だから、色々とややこしいんだ。
 でもね、あなたはそこに迷いがない。
 シンプルに走れる。それは、やっぱりあなたのひとつの才能だよ。
 どこまでもシンプルで、自然な頑張り。
 それを見ているのが、楽しかった。

 コトミ、自分の喜びすら相手に捧げるような優しすぎる笑顔で、あなたは。
 あなたが苦しいとき、そこにはいつも「相手」がいるね。
 あなたは、百パーセント自分のことだけで悩んだりしない。
 変に人に気をつかうわけでも自分を大事にしないわけでもない、ただ、あなたは、人間にちゃんと向き合おうとする。
 だから余計につらかったりするかもしれないが、それは、あなたの素晴らしいところ。
 嫌な予言みたいになるけど、数学、これからも苦しむよ。
 それでも、あなたは必ず戦える。
 で、俺たちは、最後には勝つの。
 なぜなら?
 あなたはホント優しいから、いつものように「なぜならそれが箸本竜也だから」って答えてくれるかもしれないが、違う。違うぞ。
 なぜなら、あなたが、スギウラコトミだから。

 ヒロノ、照れもとまどいもごちゃごちゃあって、それでも精一杯の笑顔で、あなたは。
 話したとおりで、夏期講座が始まるとき、僕には今日の絵が見えてた。
 不思議だね。そこに理由がない。あなたが頑張れるのに理由がないのと同じで。
 正直、ちょっときつかったね。
 どんどん強くなっていくヒロノに、ヒロノ自身がついていくのが大変だった。
 でも、ぎりぎりであれ何であれ、あなたはいつも追いついたよ。
 そうして、新しいものをつかんでいった。何度も、何度も。
 火曜日、ちゃんと話せてよかった。
 何もかも順調だったわけじゃない。いつも圧倒的に強かったわけじゃない。
 それでも、強さも弱さも笑顔も涙も全部ひっくるめて、あなたの夏は最高だった。
 そのことを、忘れないで。どうか。

 楽しかったな。
 たとえば「努力」とか何とか、君たちはそんなものを振りかざして走ったわけじゃない。
 夢中で、やったよね。
 見返りを求めるでもなく、効率を追いかけるでもなく、ただ、夢中で。
 目の前のひとつひとつに、ただ、勝っていったよね。
 夢見るように、ただ、走ったよね。
 そんなあなたたちが見れて、よかった。

 僕はあなたたちにはなれない。
 俺、塾講師で、二十六だもの。

 でも、ちょっと、同じ夢の中にいられたかな。

 ありがとう。



Over the brigde 2008年08月10日 
岡崎 徹 

橋をこえ、右手に豊田スタジアムが見えると、高橋校まであとわずか。巨大ドームのスペクタクルが毎度のことながら、ぼくを圧倒する。

8月7日。中3の完全定着テスト。
その結果に、初めて君たちに本気で話した。

完全定着テスト。通称「完テ」。
こんな言い方をあんまりしたくないが、スタッフが真剣に毎年入試の傾向や問題量、テストの順番まで考慮して作成しているテスト。

ほんまに取って欲しい。
ぼくなんか無視して、自分のために。
自分の頑張った結果で喜べることを、思い出すために。
そう、昔、ちっちゃなテストで○ばかりの答案が返ってきて無邪気に喜んでいたように。

「完テ」。この言葉が分かるのは、この言葉で通じ合えるのは、この世の中でぼくらと君らしかいない。
だから。

ミヤシタ・ナカノウチ・ナオキ。満点、やったな。
ヤマガタ・キド・アリ。よくやったぞ。
ユウカ・ダイキ・アリサ・ダンジョウ・シュン・チハル。えらいぞ。
ユウリ。1勝目だね。

8月10日。
今日から出発しよう。

夕方の橋の上には優しくて淡い光が踊っているだろう。
橋の欄干にも、道の上にも。



しあわせを感じる 2008年08月09日 
長神 智康 

今年の夏期講座はバイクで行くことがたびたびあり、夕立には降られたくないなあとは思いながら、ひそかに期待していたことがあった。

望月先生は僕の素朴な疑問にいつも爽やかに答えてくれる。理科ははっきり言ってきらいだったけど、望月先生に理科を教えてもらっていたら好きになっていたのかなあ。

いつもありがとうございます。

先日聞いたのが、『虹はどんな条件で見られるのか』
庭で水をまくと時々人工の虹?が見られるが、大空に架かる虹はどうやったら見られるのかなあ、ずっと不思議だった。

その日の湿度や時間帯、そして角度も関係があるようで…。

へぇ、そうなんですか、ありがとうございます。それを聞いた時も、新たな知識を得たことで、心に心地よい満腹感が得られた。

ちょっと夕立を期待し、夕立がきた後は、必ず太陽と反対方向を見ていた。

そして、ついに…

今日見えたんです。虹が。
同じ空を見上げてた人はいるのかな?
みんなに言ってあげたかった。

ほんとにわずかな時間だったけど、嬉しかったなあ。

雲間から顔をのぞかせたその姿、次はいつ見られるのかな。

ありがとう。

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サムデイ 2008年08月06日 
箸本‘husky’竜也 

 七月の半ば、大学のときの友達に会った。
 二年半ぶりの再会だった。

 大学四年の二月、僕はひっそりと京都を出て、豊橋に来た。
 親しくしていた数少ない友人たちにさえ、何ひとつ告げることなく。
 四年前、故郷の町を出たときと同じように。
 逃げ出すように。
 引っ越しの荷物を積んだ、父親の運転する巨大な車の助手席から窓の外を眺めて、結局、俺は十九のときと何も変わらないことを繰り返してるんだな、と思った。
 誰にもさよならを言わず、ただ、消えていくだけ。
 そういう人間から抜け出せたつもりでいたから、少しだけ悲しかった。

 豊橋駅に現れた彼は、相変わらず、この世のものとは思えない異様なファッションを身にまとい、相変わらず、爆笑したいのをこらえているような、それでいてどこか無理をして笑っているような、謎すぎる微笑を浮かべていた。
 前の日にも会ったような感じで、僕たちは挨拶を交わした。
 それから浜松まで車を飛ばして、二人でウナギを食べて、どうでもいいようなことだけを話して、君はただ、帰っていった。
 また明日も会えるような感じで。

 二十三の頃。
 話すべきことをひとつも話さず逃げ出して、二年間、君のことをこの世に存在しないかのように扱ってきた男を、君はどうして許せたんだろう。

 僕の事情を知っていたからだろうか。
 君が結局優しすぎるからだろうか。
 友達だから、みたいな安い言い方はしたくないんだ。
 それで片づくようなものじゃない。
 それを言うなら、友達だからこそ、僕はあんなふうに消えてしまうべきじゃなかった。

「いつか」っていうのは大人が使うずるい言葉だ。
「いつか会おう」って言って、会ったりしないんだ。そんなふうに言うときに、大人はもう、何となくわかってるんだ、「会えないだろうな」って。そしてもしかしたら、何となく感じてるんだ、その「いつか」が、大して切実でもないことを。

 あの頃、僕たちはどうだった?
 いつか、なんてものは信じていなかったよね。
 明日か、次の金曜か、来週の土曜か。
 僕たちはそういうふうにして生きていた。

 変わっていったものがたくさんあるね。
 お互いの髪の色も、君が吸う煙草の種類も、微笑み合う相手も、幸せとかいう言葉の定義も。
 本当に、色んなものが消えてしまったね。
 それらを思い浮かべると、僕はあまりのことに吐きそうになる。

 それでも、今年の一月、僕がこれ以上はちょっと無理だというくらいの切実さで投げた「いつか」を、僕たちは変えたね、七月十二日という現実に。
 九割がた、君の力だけどさ。
 僕はそれが少しだけ悔しかった。

 覚えていたいのは、トンネルを抜けて見えた海のきらめきと、一度も振り向かずに駅の中に消えた君の後ろ姿と、僕たちが「いつか」をつかみとったという事実。

 だから、別れ際にもう一度、君に投げた。

 恐れることなど何もない。
 信じる以外に何もない。
 サムデイ。



率先 2008年08月02日 
長神 智康 

夏期講座が中3でいえば2回、中1・2でいえば1回終わった。
今は通常授業は休講で、5日から始まる夏期講座中盤戦への充電期間、なのかな。

休みをどう使うか。そもそも時間そのものをどう使うか、これを考えて過ごしてみたいと思う。

エネルギーを蓄え、考えることは考え、バイクで夕陽を見に行き、趣味の旅だってもちろんしたい。この夏は、昨年の神戸に続く「港町シリーズ 第2弾 横浜」だ。

「スタートダッシュ」は肝心、まずは今日1日、どれだけできるかやってみるとするか。

ということで、比較的朝型の私は、今朝は7時に起きて活動を開始しました。
板倉先生は部屋を掃除するって言ってたような。中尾先生は何するんだろう。阿部先生は仕事人と化してるんだろうか。私も休日でも仕事人ですから。

※タイトル「率先」と文のつながりがなく、意味わからないと思います。自分でもちょっと説明しにくいんです。すいません。まあ、後輩職員も大いに遊べということです。



alone(and almost I’m OK,almost) 2008年07月23日 
箸本‘husky’竜也 

 岡崎先生にしかわからないかもしれないが、この文章のラストは、僕が最も好きな小説のひとつ、レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」のパロディである。

 長神先生のせいで(って別に責めてないですが)、久しぶりに「一人である」ということについて正面きって考える機会があった。

 一人が好きなんですか、とたまに聞かれる。好きだね、と僕は答える。
 ただ、それを説明するのは難しい。
 カツオ(サザエさんの弟、ではなく、食べる魚の)が好き、という「好き」とは違う。
 テニスが好き、という「好き」とも違う。
 あなたのことが好き、という「好き」とも違う。
 誰かといるのが嫌いなわけじゃないし、一人の時間が絶対に必要、とかいうのとも違うと思う。
 僕が一人が好き、というのは、敢えて言うなら、「僕は一人でも圧倒的に大丈夫」ということじゃないだろうか。

 僕は仕事を除けばほとんどいつも一人でいるが、別に孤独を感じるわけでもない。
 だいたい、簡単に「孤独」とか言っちゃいけない。
 そんなふうに言う人間は大抵、本当の孤独なんて知らない。
 本当の孤独って何でしょう?わかりませんね。だから簡単に言えない。僕が思いつくのは、自分を孤独から救い上げてくれていた誰かを、決定的に、恒久的に失うこと、という回答くらいだ。
 本当の孤独とは、いったん孤独の底に沈んで、そこから水面に浮き上がって、もう一度深海へ引きずり込まれることであるような気がする。ただの想像ですけどね。
 そして思うに、多少温かい言い方をすると、大抵の「孤独な」人間は、自分が思っているほど孤独じゃない。

 さて。
 ひとつ言えるのは、一人であることを楽しめる僕の傾向は、自然発生的なものではなく、自らの選択であり決定である、ということだ。
 たとえばカツオを好きになることに選択の余地はない。好きなものは好き、というアレだ。
 しかし僕の場合、一人でいることが好き、というのは単なる「好み」の問題ではない。
 それは、僕が十代の後半に選びとったひとつの生き方だからだ。

 十五の頃、寂しいという感情から自由になろうと誓った。
 一人で絶対に大丈夫な人間になろうと。
 どうしてそんなふうに思ったのかわからない。
 それが強さのような気がしたのかな。
 今思えばちょっとわけがわからないし、浅はかだったとも思うが、どうしても十五の少年を責める気になれない。
 とにかく、僕は自分のひとつの生き方としてそう決めて、それを実現するために、思いつく限りのあらゆることを、数年間にわたって実行していった。

 断っておくが、それは「努力」というクリーンな言葉でくくれるような時代ではなかった。
 もっと血生臭く、残酷で、ある意味では悪意に満ちていて。

 間違いだったのかもしれないと、ときどき思う。
 多くの犠牲を払いすぎたと、ときどき思う。
 でも、後悔したことは一度もない。
 ひどい時代だったかもしれないが、それを通じて、僕は学んだからだ。
 本当に「こういう人間になりたい」と望み、「こう生きよう」と決めて、そのためにあらゆる手段を惜しまず生き抜いていけば、そうなれる場合もある、ということを。

 一人が好き、というのは、それ自体、正しくも間違ってもいない。
 この世には善も悪も正しいも間違っているも本当に明確にはなく、戦争も煙草をめぐる議論もその一端にすぎない。
 じゃあ、何があるのか?
 思うにそれは、勝敗と自己決定ではなかろうか。
 何が勝ちで何が負けかという問題はここでは扱わないよ、面倒くさいから。
 極論すれば、それはあなたにしか決められないことであって。
 ただ少なくとも、戦ったのか、ということ。
 そして少なくとも、自分が選びとったものなのか、ということ。

 一人であることを好きでいられる、それは僕が選びとり、勝ちとったものだ。
 簡単に手放してたまるか。
 そのことに、多くの場面で助けてもらった。
 こういう人間でなかったら、耐えられないことがあったろう。
 こういう人間でなかったら、見つめられないことがあったろう。
 もちろん、こういう人間であればこそ、招いた不運もあったろう。
 こういう人間であればこそ、避けられなかった過ちもあったろう。
 だから繰り返し、そこには善も悪も正も誤も可も不可もないが、何であれ、自分が選んだ生き方であることに変わりはない。
 そういう人間になれて……よかった、と単純には言えないが、少なくとも、悪くない。
 感じとしては、悪くない。

 一人で、大丈夫。
 そのことが今、全てのことを埋め合わせてくれている。
 何もかもを。


 ただし、ある種の空白だけは別だ。
 その空白を埋める方法は、いまだに発見されていない。



夏本番 2008年07月19日 
長神 智康 

祇園祭の花火きれいだったね。
孤高な私は、ラスト10分を見ようと思って、豊川までバイクを走らせ、涼しげな風のふきぬける堤防沿いで見ていた。

同じ空を見上げてる、老若男女関係なく。みんなで楽しんでいる。
そこがいいね。

僕が花火や流星群が好きなのはそこなのかな。

今日は全然一人を感じない、ヒトリノ夜でした。

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自信 2008年07月17日 
小宮 卓也 

ある職員に数ヶ月前話したことがある。
本物の自信を。

世の中の自信には、いろいろな言葉の意味が含まれてる。
ポジティブ、楽観的、信じていると勘違いしている思考、本物の自信。

『昔水泳やってたんで、自信があります』
この言葉は適切かな?
使っちゃいけないかどうかは別として、俺が考えるに適切ではない。
別に信じてないよね、自分を。
自分の過去の実体験でできることがわかっているだけ。
わからないことだから、信じたり不安になるものであって、わかっていたら信じる必要ないよね。

確定された実体験がなく、自分の思考のみしか確定要素がないとき、信じれる。
改めて言うけど『自信=自分を信じる』だから、外的要素があったらいかんよね。

じゃあ、どういう人が自信を持てるんかな。

それは、事象の後に自分、そしてまわりを受けとめれる人だと思う。
そう、不安になる人は実現できなかった後の自分の未来が怖いんだと思う。
その事象ではない。
達成した後の充実感、失敗した後の劣等感。

これは人間の歴史の習性から来ていると思う。
昔の敗北者は殺されていた。
勝者のみしか生き残れなかった。
昔をさかのぼればさかのぼるほど。
狩りにいって負ければ食い物ないもんね。
生きるために食べ物が欲しい。食料を自分でとれなければ、死んでしまう。
とれなかった後の死が怖いんであって、食べ物がとれなかったこと単体が怖いわけではない。
わかるかな。
生死がかかっていたから、今もその精神は受け継がれ、成功、失敗に人はスリルを感じるんだろう。
今は平和だよね。

生死は関係ないけど、失敗した後も今までの自分でいられるかが重要になってくる。
未来の自分が何も変わらないことがわかっているからこそ、自分を信じれる。
未来の自分がどうなるかわからないからこそ、不安になる。
信じるってその事象のみだけじゃなくて、その後も継続して信じれるからこそ、生まれるものだ。
言い訳こいたりしちゃいかんよね。逃げずに自分を受けとめないと。

そういえば、先日ある中日の敗戦投手が言った。
記者『連日の疲れがあるかもしれないですね』
選手『疲れを言い訳にはしたくないです』
みんなどう思ったんかな。

俺はかっこ悪いと思った。
適当に聞くとかっこ良さ気な感じに聞こえるが、敗戦の理由を疲れと認めてる。
言い訳にしたくはないけど、疲れはあります、それが原因の1つとして負けました、と聞こえる。
それを言い訳と言わずに何ていうのか教えて欲しい。
本当に言い訳にしたくなかったらこういう表現になるはずだ。
『負けに影響するほど疲れてないです』と。
本当に疲れていてそれが原因であったとしても、言い訳したくないのであれば、原因にしてはいけない。
それか素直に認めた方が俺からするとその言葉を言うよりかっこいいけどね。『疲れで負けました』と。

それたね。
信じるという言葉を使うときは、勝つ可能性の上がる考え方でなければならない。
これやな。
本物の自信と偽者との違いは。
勝つ可能性の上がらない思考に自信という言葉は当てはまらない。
勝ちに行かないと意味がない。

自信があると言われていて、何も勝ちに執着していない人もよくいる。
負けてもいいと思っている事象に何のリスクがあるのかな。
リスクがないからこそ、負けてもいいと思っているんだ。
どうでもいいことをやるときに自分を信じる必要ないよね。
それを楽観という。
そして、勘違い野郎と呼ぶ。
本当に自信のあるひとは、全てに自信を持たない。
自分が負ける場所も知っている。
負けることがわかっているのに自分を信じる必要がない。
そのかわり、自分の勝てる可能性のあることに最大限自信をもつんや。

自信を持つことによって、攻めが生まれる。余裕も生まれる。
そして、勝率をあげる。

自分を受けとめれる人ほど自分を大切にしている人。
その結果負けてもいいと言えばいい。
負けても自分を正面から受け止めれるから。

だけど、そんなことは考えず、その事象に勝つことだけを求めて自分を信じ続ける人こそ、本当の自信のあるひとだ。
勝ち取るための大切な思考、それが自信。

俺はなるよ、本物に。



華麗な舞 2008年07月15日 
阿部 真一郎 

まいあがってしまった。

世界女王が目の前に。


今までスポーツ観戦といえば、
野球・サッカー・K-1・プライド・バレーボール
どれも勝ち負けがかかったもの。

そういう基準で言うと、
今回のはスポーツというと勝ち負けというよりは、ショーかな。

魅せる。

荒川静香・浅田真央・浅田舞・中野友加里・・・。asada1.bmp

フィギュアスケートを生で見るのは初めて。
競技会ではないので、勝負の緊張感とはかけ離れたものだけど、
心に余裕を持った中の演技は僕らを魅了した。

いつの間にか、自分も氷上にいるように。


気分転換。
暑い日々の続く今日この頃。
涼しい風に癒された。



孤高のライダー 2008年07月10日 
長神 智康 

最近天気がすっきりしなくて、朝起きると「また曇りか」から始まる日がほんと多い。

で、結局雨降らずに終わる、という毎日。別に雨が降らないのはいいんだけど。

なんか今夜は無性にバイクに乗りたくなっていた。豊橋本校で送迎をしながら、雨降るなよ、降るなよ、と空に向かって祈っていた。

仕事をきりあげ、自宅に戻り、すぐヘルメットをかぶって出た。Driver’s Highでも聴きながら失踪、いや、疾走してやろうと。

別に心は病んでませんよ。最近バイクに乗れなかった、というストレスがたまってただけで。30分も走ればなんかだいぶすっきりした。

「孤高」という表現は、自分にはもったいないのかもしれないけど、無心で走ってて、こうやってる瞬間は自分にはすごく必要だな、と思った。

結婚願望はないわけじゃないよ。火曜に田原校で、何かの話題から「先生、結婚する気なの?」と聞かれ、(おい、ちょっと失礼じゃないの、と思いながら)「そりゃああるよ。」なんてやりとりがあった。これは正直な気持ち。

でも一方で、一人でバイクの旅をしてみたり、一人で図書館で読みたい本を探してみたり、ふと思いつきで一人で京都に行ってみたり、そんな人生もありなのかなって思う。

理解できるのは箸本先生くらいかなあ。ねえ、僕ら「孤独」じゃなく「孤高」ですよね。あれ、一緒にしたらまずかったかな(^^;)

…やばい、フェラーリが現実のものになってきてしまった。



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