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F-1レーサーを夢見るきっかけは何ですか? |
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小学生の1、2年のころ、鈴鹿でF-1を観戦し、まずかっこいいと思った。そして、小学生4年くらいのころ、F-1レーサーになりたいと思った。とにかく、親父のあとを継ぎたくなかった。
継いでしまったら、親父を超えられないし、ひかれたレールがいやだった。今は、親父を抜かそうとは思わない。尊敬する人物であり、永遠の目標ですね。 |
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ここまで来るにあたって、苦しかったことは何ですか? |
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| ドイツでの2年間です。レースの結果がでず、チームとの関係も悪化していくばかり。 ドライバーとして自信を失い、速く走れなくなってしまった。 |
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その苦しみをどうやって、乗り越えたのですか? |
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3年目、ヨーロッパでもう1年走るか、それとも日本で走るのか、迷っていました。
そのときにとても信頼できるスタッフ、チームを日本で見つけました。日本でやろうと。そして、これは言い訳ができない。このチームで結果がでなかったら、自分に見切りをつけよう。つまり、レーサーを辞めようと心に決めていました。そして、F-3で国内優勝、これにつきます。 |
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あのF-3国内最終戦は、ぶっちぎり優勝でした。F-3であそこまでぶっちぎるレースはみたことがないのですが? |
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そうですね。2位に14秒差をつけるというのは、F-3の世界では記録的なレースだと思います。F-1と違って走行距離が100kmしかないので。 |
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あのぶっちぎり優勝後、左近選手は初めて涙を流しましたよね、あのときの気持ちを教えてください。 |
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| ドイツでずっと苦しかった。それでも、両親、スタッフ、ファンなど応援してくれる人たちがいた。やっとこの人たちに少し応えることができたという思いと、同時にそれらの人たちに感謝の念が沸き起こりました。実は、車に乗っていたときは、泣いていなかった。レース終了後に、担当のエンジニアと目があった瞬間に涙があふれ出た。 |
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今年、幼いころから夢見ていたF-1からオファーを受けたときの気持ちを教えてください。 |
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| 迷いました。シーズンの途中で、フォーミュラニッポンそしてスーパーGTとの契約があった。チームもすごくよかった。来期にするか、今F-1に乗るか、とても迷いました。 |
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そうだったのですね。普通だったら、幼いころからの夢なので、有頂天になってもおかしくないと思うのですが。最終的にどう考えて、F-1に決めたのですか? |
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たしかに幼いころからの夢でした。
しかし、F-1レーサーになることはあくまで通過点。F-1で優勝すること、これが本当の僕の夢。だから、あせりすぎてはいけないと考えていた。そんな中でずっと迷っていたのですが、来年チャンスがあるとは限らない、チャンスはそう簡単にめぐってこない。 このチャンスを逃すべきではないと決心がつき、挑戦することにしました。 |
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最後に子供たちへメッセージをお願いします。 |
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| 僕が中2のとき、「人間は実現不可能な夢を思い描かない。」という話を本で読んだ。事あるごとにこの言葉を思い出してここまでやってきた。僕も通過点だが、自分の思い描いた夢を実現不可能だと思わないでほしい。自分の可能性を否定するのはもったいない。 |
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