岡田竜馬のリアルタイムメッセージ
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品詞 2003年04月29日
ある日の夜、
ふと思った。

「もしかしたら、言語でこの品詞が最も重要なのかも。」

普段、私は生徒に英語を教えている。大切な品詞は動詞だ。
動詞がキーであり、なんだかんだいっても、主語と動詞の関係を把握することが中学英語も
高校英語も最重要だ。そこで、完全に動詞を軸に教えている。
要するに、最重要品詞は動詞。

では、英語という言語は動詞が最も大切なのか?
“No.”
日本人が英文法を理解させるという枠の中に過ぎない。
そんなふうに考えたのも、ある日の夜だ。

子供は誕生した瞬間、感動詞を発する。
もちろん、人間的行為というより、動物的行為に含まれる。
そして、幼子は、名詞を覚える。「ママ、ハナ、ミルク。」
日に日に、名詞が増える。これは、子供を育てたことが無い人でも
想像がつくであろう。

その次に何詞を覚え、発するだろうかと自分の子供に注目していた。
月日がたち、形容詞を発した。「イタイ。」
それから、ある日の夜、連発しだした。「カユイ、コワイ、アブナイ、おいしい、まずい」

そうか。この日の夜、気づいた。

私は、形容詞という品詞に対し様子・状態を表す語というイメージを強く持ちすぎていた。

次に覚えた品詞は「見る、食べる」という動詞ではなく、
「見たい、食べたい、降りたい(毎日ピアノの上などを私の子供はのぼる)」
この言葉は日本語と英語を比較すると面白く、
日本語では、「見たい」は、「見る」という動詞+「たい」という助動詞
英語では、want(動詞)+to see(不定詞)
なお、日本語で「欲しい」は形容詞。
カテゴリーがぜんぜん違う。

そして次に、動詞を覚えた。
「だっこして、貸して」
これは、動詞とはいっても、「~して」という依頼表現だ。

子供が言語を覚える順序は、家庭環境によって、異なるだろう。
だが、わが子に限ったことでもないだろう。

まず、おもしろいぐらいに動詞を単独で使わない。
動詞というカテゴリーだけで表現しきってはいけないが、
動詞は「走る、泣く、笑う。」という単独では、動作の状態を表すものが多く、
これを日常で使う目的は、動作の状況説明が主になるような気がする。
であるから、幼子は1人称から2人称に伝える以外の目的で言語を使用しないので、
このような結果になるのだと思った。

人間が人間であるために、必要である言語。
この出発点から考察すれば、名詞が最も大切ということになる。
そう考えてもおかしくはない。
だが、それは大人の意図的な側面があるようにも思う。
ママ、マンマ、オッパイなど単純な言葉を毎日言うことと
視覚的な側面との判断で未発達段階の人間が最も認識しやすいもの
のように私は思う。だから、最初に発する品詞が最も大切ということにはならない。

言語の必要性を考えた場合、これは現代社会における日本人という定義ではなく、
あくまでも人間として無くてはならない、無いと困ってしようがないという定義で考
えてみよう。
それは、文化水準は極端に低くていい。
そして、言語が必要とする最低限度の人数は二人だ。
二者間で分かり合えれば、生きていける。
第三者に伝える意味での言語、また第三者のことを相手(2人称)に伝えることも
高度化した側面がある。
そう考えると、上述から考えて動詞は最重要ではないだろう。
また、名詞は目の前にあるものに指をさして、または必要であれば、その名詞のものを
取りに行けばよい。好きな相手と名を交わさずにしゃべり続けるのは、ちょっと寂しい
が、なくてもなんとかなる。

2者間の中でどうしても必要な言語は、自分の気持ちを相手に伝え、理解してもらうこ
とだと思う。

そう、感情だ。感情は物ではない、名詞は視覚的に感じあえる。
感情を伝える品詞、それは形容詞。

感動詞は動物も発する。そして、動物は感動詞と本能だけでコミュニケートしている。
それはそれで凄さを感じる。
動物が生きていくために必要な感動詞は、その集合の中に存在する人間が生きていくた
めに必要不可欠だ。だが、「オギャー」で瞬時に判断するには難しすぎるし、誤解も生
む。感動詞では感情伝達に限界がある。

そうか。この日の夜、気づいた。

それを人間らしくしたものが「形容詞」ではないだろうか。

幼子が、視覚判断から名詞を発することから、自分の感情を相手にわかってもらうため
に使う形容詞を発するときの瞬間は成長過程において飛躍的進化だと私は思った。

そして、「~したい」も欲求という感情伝達であり、形容詞の次に覚え、また
「~して」は依頼という願望の感情伝達だと思う。
大きい枠組みで抱えれば、これらも形容詞的だと考えれる。

形容詞の「イタイ」を子が発し、親は「どこが痛いの?」と聞き返す。
形容詞の「カユイ」を子が発し、親は「どこが痒いの?」と聞き返す。
形容詞の「コワイ」を子が発し、親は「大丈夫だよ。」と受けこたえる。
そして、あるときから、痛くも痒くないときに、「イタイ。」と言い出す。
そして、あるときから、痛くも痒くないときに、「カユイ。」と言い出す。

そう、この言葉を発すると何をしていても親が心配してくれる言葉だということに気づ
くのだ。

心配してくれる言葉=自分に注目してくれる言葉

そこで、機嫌が悪い時や欲求が満たされない時に
「イタイ、カユイ、クサイ、コワイ、アブナイ、イタイ、カユイ、クサイ、コワイ、アブナイ」
と、ミックスしまくって言うようになる。(笑)
その表情も痛くて、痒くて、くさそうで、そして、怖がっていそうな僕らが日常でしない不思議な
顔をみせながら。面白くてしようがない。

子供は何も教えなくても工夫して生きているんだ、
と「形容詞から生命力」を感じた。

形容詞がこんなに大切だなんて、全く思わなかった。

英語を教える上で何かいかせないか考えた。
      
      I am happy.

形容詞はBe動詞が基本的に必要である。
なぜBe動詞とセットなのか?
      
      私=うれしい

感情を伝えるためにイコールという語をそえて主語の感情・状態を強調するために、
Be動詞を必要としたのではないかと勝手な解釈だが、

ふと思った。
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