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明日(厳密に言うと、今日だが)豊橋南校で夏期講座だ。
どんな生徒で、どんなクラスなのだろうか?
自分にとっては、豊橋南校は10校舎あるうちの1校舎
という存在にはなれない。
豊橋南校なんてものはなかった。ここが開拓塾だ。
ずいぶん前、自分はこの校舎でこんな話をした。
「豊橋の新栄町にこの春からもう1つ校舎ができる。」
「うそー。」「マジでー。」「すごいじゃん、先生。」
「開拓塾が2校舎になる。そこで、新栄町を豊橋本校と
し、ここを豊橋南校にする。よろしく。」
生徒たちは一様に、「なんで?」だった。
つまり、なんでここが豊橋本校じゃないんだ、というこ
とだった。
こんなにクレームが出るとは思わなかった。もしかした
ら、自分よりも生徒たちのほうが、ここが開拓塾の原点
だという誇りがあったのかもしれない。
そして、
「実はおれは、3月から豊橋本校に行く。おまえたちを
教えるのは2月いっぱいだ。」
たんたんと、そう伝えた。生徒たちは、びっくりしてい
た。
そして、
最後の授業。本当につらかった。泣きたかった。自分の
ことを慕ってくれた生徒たちは、みんな泣いていた。そ
して、「先生、今までありがとうございました。先生、
あっちでがんばってください。僕たちもがんばります。」
と言い、めいめいがプレゼントをくれた。これには参った。
本当に泣きそうだった。
人生でこれほど涙をこらえ、悲しみをまったく見せずに
明るく振る舞ったことはない。
本当に生徒はかわいかった。たぶん今のほうが授業は圧
倒的にうまい。生徒への対応力もぜんぜん上だと思う。
しかし、このときのほうが、魂のある授業だったと思う。
人の評価は、テクニックが支配しない。テクニック以外
のものが必ずある、と自分は思う。
自分は、南校を去り本校に行くことに対し、1つ決めて
いた。
生徒の前で絶対に泣かない。「悲しいけど、」と言うよ
うなことを一切言わない。
誰から頼まれて本校をつくったわけではない。あくまで
自分の意思だ。であるから、自分には「泣く権利」がな
かった。塾を大きくしたいという欲求の中で避けられな
い道だった。
生徒は本当にかわいかった。そのかわいい生徒を裏切る
ようで、つらかった。
人間の感情がもっとシンプルだったらどんなにいいかと
そのとき思った。
ここが、開拓塾である。あの生徒たちと自分と望月で。
そう、ここから出発した。
1994年12月の寒い日にこの校舎はできた。開拓塾
と名づけた。
1995年3月開講。
それから2年間望月と二人で悪戦苦闘を繰り返しながら、
本当に自分で言うのもなんだが、いい校舎を築き上げた。
マナミ、アイザワ、アオキ、キムラ、ジンドウ、タカノ
リ、イマガワ、タジリ・・・。
いっぱいの生徒とお母さんといろんなことを話したなあ。
ずいぶんの月日が流れ、南校の付近も少し様変わりした。
明日の朝、あの道を車で走り、
僕は原点へ向かう。
明日の朝、ふたたび、
僕は原点で生徒をほほえます。 |
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