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もう26歳になってしまったという気持ちの中で、私は望月と塾をつくることを決める。 |
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あれこれ名前を考えたが、なかなかこれだという名前が見つからず、やっと見つかった。洋服を買うにしても、しっくりいかない気持ちを抱えて買うときと、「これだ!」というその服に出会えた喜びを抱え、うれしさいっぱいで買うときがあるように思う。私にとって、まさに晴れ晴れとした塾の名が決まった。
This is my juku.
This is my feeling.
This is my challenge.
It's my life.
来年3月開講する塾の名前が決まっただけだ。お金もない。建物も出来ていない。生徒が何人来るのかなんて分かるわけもない。しかし、おおげさかもしれないが、この名前が決まった瞬間、あらゆる不安が消え、自分がやるべきこと、自分の塾、開拓塾の原形が出来上がったように思う。 |
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ハンドメイドのきれいとはいえない広告をうった。何人になるのかな?わくわくドキドキ。 |
| 1995年
3月 |
塾生102名、豊橋市富士見台でスタート |
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自分の予想をはるかに上回る生徒が集まった。うれしさ反面、責任をまっとうできるか、ちょっとビビった。 |
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今では、これでもかというぐらいにある定期テスト対策プリントも、この頃は明日の授業のプリントなんて1枚もない。明日の授業は生まれて初めての授業だった。第1回卒業生には言えなかったが、社会はど素人だった。きっと、そんな風に思った生徒は一人もいなかったという自信がある。なぜ?
圧倒的な気合と授業の研究がそこにあった。今でも開拓塾の目玉とも言えるようなプリントや教科指導が存在する。よく1年目でこんなものを作ったもんだと、われながら感心してしまうときもある。大げさでもなんでもなく、明日の、今日の授業を、自分なんかを信頼してくれる子供達に、満足させるものを与えたかった。
ほとんど毎日が徹夜だったんで、きついときもあった。だが、とにかく楽しかった。あのがむしゃらな毎日が。
高校入試。生徒以上に緊張していたかもしれない。生徒と自分達だけが知る“がんばり”があった。この1年間の答えが出る。生徒の笑顔が欲しくて、欲しくて。生徒の寂しい顔が怖くて、怖くて。
生徒のためだけを思った感情ではない。生徒の結果が、自分自身の結果だ。そして、合格と不合格。このときの感情を明快に伝える言語能力が自分にはない。 |
| 1997年
6月 |
FMラジオ番組“Sweat&Tears”スタート |
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DJ気取りで、「次の曲は、Mr. Childrenの Tomorrow never
knows!」これもまた、楽しかった。今日は、何にしようかな?自分の好きな曲をラジオで流し、紹介しきれないぐらいたくさんのハガキが毎週番組に届いた。授業とはまた違う楽しさや難しさもあった。自分の目の前には誰もいない。聞いている人を想像して話したり、時計を見ながら話したり。 |
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CMをこんなにドキドキしながら見たことは生まれて初めてだ。塾生のほとんど全員がこのCMを見たはず。
「先生、見たよ!」とハイテンションで私のところに駆けつけてきた生徒達。 いつか、開拓塾が大きくなり、毎年CMがバンバン流れるようになったら、きっとこんな光景はないんだろうなあ。なんて心に少し感じながら、生徒との会話を楽しんでいた。 |
| 2002年
2月 |
豊橋地区でラッピングバス2台走行中。現在も運行中 |
| 2002年
8月 |
新卒入社2年目の最年少校舎長が誕生。まさに抜擢人事 |
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かつての教え子で、レーシングドライバーでドイツF3選手(現在F1ドライバー)「SAKON」のスポンサーになる。 |
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高校入試の直前授業にて、的中問題多数。授業の質の高さを物語る。 |
| 2004年
4月 |
更なる飛躍の準備段階として、現有社員の育成 |
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塾生と私たち講師で勝ち取った紛れもない事実。
塾生総数1,000名以上の愛知県下の塾で No.1の合格率 |
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・時習館高校 内申39以上 91.9% 最低合格内申点38
・豊橋東高校 内申37以上 90.0% 最低合格内申点35
・豊丘高校(普通科) 内申36以上 100% 最低合格内申点30
・国府高校(普通科) 内申35以上 100% |
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2002年以来、開拓塾がスポンサーをし続けている塾長岡田の教え子である山本左近がスーパーアグリF-1チームよりデビュー。 |
| 2007年
3月 |
豊田支部始動。さらなる拡大へ向け、西三河へ |
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